グラスリップは難しい。
透子と駆を振り回す「未来のかけら」の正体が、結局何なのかはっきり分からないまま終わってしまうからである。
ということで「未来のかけら」の正体について自分が考えたことをまとめていこうと思う。
ざっくり言ってしまえば、作中で「未来のかけら」と呼ばれていたものは人の心を映像化、音声化する能力である。
分かりやすいもので言えば、「お似合いのカップルね」(7話)はやなぎの透子に対する妬みが噴出したものだし、12話で丸々と描かれた雪の花火大会は駆の「唐突な当たり前の孤独」を反映した世界である。
キャラクターたちの抱えた嫉妬や孤独や願望といった感情を、抽象的に表出したものが「未来のかけら」といえる。
「未来のかけら」が駆たちに未来予知能力として誤解されてしまったことにはちゃんとした理由がある。それは感情は多くの場合で行動に直結するものだからである。
バトル漫画の「心を読む」系能力者を想像してみてほしい。彼らは「相手の心を読む」ことで、相手の次のアクションを予測する。
例えば幽遊白書の室田は、相手の心を盗聴する能力の持ち主だった。彼は浦飯幽助の心を読み取り、幽助が右ストレートを打つことを感知した。
行動は意思によって選択される。そして意思というものは心に由来する。
それ故に、「心を読む」という行為は結果として未来を見るということになりうる。
しかしながら、駆は「未来のかけら」によって誰かの「心の声」が聞こえても、室田のようにそれを「心の声」と理解できなかった。
駆が認識したのは、「声」の主が「声」に沿ったアクションを起こしたという事実のみである。
そこから単純に解釈した結果、駆は「未来のかけら」を未来予知能力だと誤解したのだろう。
2話で透子が聞いた「未来が見たいの…」と呟く自分の声も、彼女自身の「未来が見たい」という心の声である。
1話で透子がやなぎたちとの友情が続くよう「未来の私が全部解決してくれますように」と願った透子。
この時点で「未来が見たい」という彼女の想いが生まれていたと考えるべきで、「未来のかけら」はそんな彼女の心に共鳴したと推測できる。
この一件の後で、透子は井美雪哉に告白される。そのせいで透子は彼女たちの友人関係に対する不安感を強める。この不安が「未来が見たい」という彼女の想いを刺激し、透子は駆に電話をする。「私、未来が見たいの!」と。
「未来のかけら」が聞かせた通りのセリフを口走った透子は、かけらが意味したものが未来だと信じ込んでしまう。でも実際には、「未来が見たい」と思っていたから「未来が見たい」と言ったに過ぎない。悲しくなったから泣くとか、ムカついたから怒鳴るように、ただ感情が行動に結びついただけなのだ。
このように「心」を「未来」と誤解した透子と駆は、自分たちの間違った認識に踊らされていく…というのがグラスリップの話の流れになっていく。
透子は友人関係の継続のために未来を見ることを求めた。しかし未来を見ることだけが透子の願望ではない。
1話で透子は物言わぬニワトリのジョナサンにこう尋ねる。
「ジョナサン、今幸せ?どう生きたい?私、お前を守れてる?」
そしてジョナサンの気持ちを理解していたつもりになっていた自分に気づく。なんと透子はニワトリの心の内を知ろうとしていたのだ。「心を知りたい」という願望が、彼女の中にあった。「未来のかけら」は実は透子の望みにマッチした能力だったのである。
しかしながら、透子は「未来のかけら」の性質を誤解したことで「心」ではなく「未来」を見ようとしてしまう。そこから、相手の心を知ろうという方向に回帰していくのがグラスリップの大筋で、実はそこに「未来のかけら」の本質があった…
ということを注目してグラスリップを見直せば、いくぶんすっきりできるのではないかと思う。