ジョイナス最後の戦い

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沖倉駆はなぜ町を去ったのか?

(数年前に書いた記事ですが、改めて読み返すと稚拙な内容だったので一から書き直しました。)

最終的に日の出浜から去ってしまった沖倉駆。彼が町を去った理由が理解できなかった視聴者も少なからずいるだろう。

というわけで本記事ではなぜ沖倉駆が去ってしまったか?ということを考えていきたい。

グラスリップ考察・感想まとめはこちら。

どう生きたい?

はじめに、駆が両親から自立を求められていることに注目しよう。

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「親の都合で右往左往させられるのは…」

「扶養家族だし、ま、ある程度は仕方ないことだよね」

「そう言ってくれると助かるよ。だが、これも子供が小さくて自立できないときの話だ」(4話)

母・美和子の都合で各地を転々とする生活をこれまで送ってきた沖倉駆。そんな彼に父・利尋は自立を求め、美和子も「なんだって全力で応援するわ」と駆の意思を尊重する姿勢を見せている。

また1話には深水透子がニワトリのジョナサンに「どう生きたい?」と尋ねるシーンがある。

 

「ジョナサン、今幸せ?どう生きたい?私、お前を守れてる?」(1話)

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1話で駆はニワトリのジョナサンを「浮いている」と評する。どうやら駆は他所からやってきたジョナサンに自己投影をしているようで、ジョナサンに自分の姿を重ね合わせたようだ。それゆえ駆はジョナサンの「幸せ」を勝手に決めつける透子に苛立ちを見せる(1話)。また、透子も「ジョナサン、あなたもしかして駆くん?(10話)」と言う。このように、本作は駆とジョナサンを結びつけるように描写している。いわば、ジョナサンはもう一人の駆の姿だ。

透子はジョナサンに対し「どう生きたい?」と問う。透子からジョナサンへの問いは、沖倉夫妻から駆への問いとして反復され、強調される。*1

「町を去る」という決断は「どう生きたい?」という問いに対する駆の答えである。彼の決断の持つ具体的意味をこれから掘り下げていこうと思う。

「やりたいこと」と「好きな人」

駆を考察するうえでまず彼の母・沖倉美和子について触れたい。駆の母は息子をして「何をしても正しいことをしているように見えた(6話)」と言わしめるほどの存在である。一体彼女は「どう生きている」のだろうか。

「あの子、「ここが気に入っている」って言ってたからやりたいことでも見つかったのかと思ったけど」

 「ガールフレンドだろ」(9話)

ピアニストとして各地を回る生活を送る美和子は「やりたいこと」のために自分の居場所を選ぶ。愛する夫と暮らすことよりも「やりたいこと」を優先し、家をほとんど留守にしている。

上記の沖倉夫妻のやりとりは美和子の価値観を提示していると同時に「好きな人」の存在も自分の居場所を選ぶ要因となりうることを示している。ガールフレンドが住む町に残るという選択肢も駆の中にはあっただろう。

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本作は「好きな人」よりも「やりたいこと」を優先するキャラクターがもう一人描かれている。高山やなぎは井美雪哉との距離を縮めたにもかかわらず、モデルになる夢を叶えるために町を出ようと考えている。彼女もまた「好きな人」の側にいることよりも「やりたいこと」を選ぶ。

「それで、駆。あなたはいなくなるの?」

「…」

「なんだかそんな気がして」(13話)

やなぎが「駆がいなくなる」と直感したことにも注目したい。観察力に優れたやなぎは相手が自分と同じ境遇にいることを察することができる。*2よって駆が町を去る理由もやなぎのように「やりたいこと」を優先するためと仮定できる。

両親からの影響

駆が「やりたいこと」のために町を去ったとすれば、」それは彼が母・美和子とも同じだ。

「お母さんってどんな人?」

「一か所に留まらない人かな。職業柄なのか、人柄なのか分からないけど」

「活発な人なんだね」

「幼い俺には母が何をしても正しいことをしているように見えた。‥‥なんて言うとマザコンなのかな」(6話)

家族よりもピアノを優先する母と暮らしてきた駆なら、母親のように「やりたいこと」を優先しても不自然ではない。

とはいえ駆が「やりたいこと」のために町を去ったという見解は人によっては受け入れがたいかもしれない。親の都合で右往左往させられることを「仕方ない」で済まし、「母が何をしても正しいことをしているように見えた」と語る駆は追従的で自分の「やりたいこと」を優先するような性格に思えないかもしれない。

しかしながら駆は両親に追従するだけの存在ではない。ここで13話に駆と父・利尋とのやり取りに着目しよう。

「お前、山、続けているみたいだな」

「うん。けど、登るってほどじゃないよ。低山を半日歩き回るだけ」

「俺が誘ってた最初の頃はあんまり乗り気じゃなかっただろ」

「そうだね。いつの間にかね」(13話) 

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父親に誘われて登山をはじめた駆。当初は登山に乗り気ではなかったものの気が付けばひとりで山に登るまでになった。父親に従ってはじめた登山が気が付いたら彼の「やりたいこと」に変わったのだ。

上記のエピソードは私たちに一つの解釈の余地を与える。それは駆は一か所に留まらない生活を気に入っていたのではないか、ということだ。気が付けば登山を好きになったように、様々な場所を巡る生活を好きになっていたかもしれない。

沖倉駆と探索

沖倉駆というキャラクターをさらに掘り下げてみよう。

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本作では駆が1人で各地を探索している場面が作中度々描かれる。アクティブに動き回る姿を見るに母・美和子の一か所に留まらない性質が彼にも受け継がれているようだ。

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5話で駆は「面白い場所を見つけた」といい透子を連れていく。木漏れ日が鮮やかなその場所は日の出浜にずっと住んでいた透子も知らない場所だった。

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「こんなとこに燕の巣があったなんて全然知らなかった。‥‥あっ、雛がいる!」

「みたいだな。2羽確認している」

「‥‥なんか、ずっと私ここで暮らしているのに駆君の方がいろんなこと知っているみたいで、なんか悔しい」(7話)

また駆は麒麟館のベランダに燕の巣があり、そこには2羽の雛がいることを透子に先んじて知っていた。彼は何かを発見することに長けている。

一か所に留まらず各地を探索し、その土地の人間ですら知らないことを発見する駆。他の人々が気づかず見過ごしてしまうもの対しにアンテナを張ることができる人物であるといえるだろう。彼には喩えていえば藤岡弘、*3のような探検家としての志向がある。おそらくこれが駆の「やりたいこと」なのではないだろうか。

唐突な当たり前の孤独

とはいえ大方の視聴者には駆が探索をしている様子より彼の不安げな表情や協調性のなさの方が強く印象に残っただろう。

こうした駆のネガティブな一面を語る上で避けて通れないのが「唐突な当たり前の孤独」だ。

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「駆には場所がないのよ」

「えっ」

「小さい頃からずっと私は引っ張りまわしたせいで」

「一所に長くて2年くらいしかいなかったからなあ」

「子供の頃からすぐに友達はできたんだけどね」

「地元のお祭りのときとか、周りの子が突然毎年の「お祭りモード」に入っちまって駆のこと忘れちまうんだよなあ。あいつ、それをナントカって言ってたよなあ」

「唐突な当たり前の孤独」

「そうそう、それそれ」(10話)

10話で明らかになった「唐突な当たり前の孤独」。駆の言動の多くは「唐突な当たり前の孤独」の影響と考えれば腑に落ちる。

たとえば人付き合いに消極的な姿勢は「唐突な当たり前の孤独」を避けたいという彼なりの自己防衛といえるだろう。

また駆は「何かの欠如(4話)」を自分に感じていて、「不完全な自分が安定した存在になるため(6話)」に「未来のかけら」に執着している。彼が「安定した存在」になろうとするのも「唐突な当たり前の孤独」を克服したいという意識の表れと考えられる。

孤独に対処するため「不完全な自分が安定した存在になるためのピース」である「未来のかけら」に固執するというのはオカルトと言わざるを得ない。また「未来のかけら」によって自分が安定した存在になるというのは駆の思い込みでしかない。ゆえに根拠のないものに固執する不合理な考えともいえるだろう。

しかしながら、不安をやりすごすために超越的なものに縋ることがある。たとえば私たちが死後の世界を信じるのも、死の恐怖をやりすごすためだ。駆が「未来のかけら」に縋るのはある意味人間味のある行動といえる。

一方、本作の監督・西村純二「少しでも孤独を埋めていくには、その場にとどまって同じ体験をするしかありません」*4と述べている。孤独に対し、一か所に留まり他人との関係性を深めていくというのは実にリアリスティックな提案である。

「‥‥なんか、ずっと私ここで暮らしているのに駆君の方がいろんなこと知っているみたいで、なんか悔しい」

「この町の些細なことを知ったからって、透子が暮らしてきた事実に比べたらつまらないことだよ」(7話)

駆も「透子が(町にずっと)暮らしてきた事実」に価値があると考えている。それどころか、自分の発見はそれと比べたら些細なことだとまで言う。*5駆は決して一か所に留まり続ける意義を否定しているわけではないようだ。ところが彼のスタンスはご存じの通り、「不完全な自分が安定した存在になるため」に「未来のかけら」を探すという不合理でオカルティックなものだ。

しかしながら駆に探検家としての志向があることを踏まえると、彼の不合理性にまた違った意味を読みとることができるだろう。すなわち探検家志向の駆からしてみれば一か所に留まるという選択がそもそも論外であり、それゆえに「唐突な当たり前の孤独」に対処するためにオカルティックな方法に縋らざるをえなくなっているということだ。

また、沖倉駆の探検家志向は、彼のもう一つの姿を浮き彫りにする。それは沖倉駆は「唐突な当たり前の孤独」に傷つきながらも「唐突な当たり前の孤独」の原因である一か所に留まらない生き方を求めているというジレンマを抱えた存在だということだ。傷つくことを分かっていてもなお傷つくような生き方を追い求めてしまう性質は探検家というよりは冒険者と言った方がいいかもしれない。

冒険者

「なんで、ジョナサンだけジョナサンなんだろ」

「わっ‥‥雪くんどうしたの?まだ残暑厳しいし‥‥」

「ちげーよ!あいつ以外みんな哲学者の名前だろ!」

「えっ?!じゃあジョナサンは?」

「強いて言うなら冒険者‥‥?ていうか透子、いっつも描いているのに知らなかったのかよ」

「そうなんだ‥‥」(13話)

透子から「どう生きたい?(1話)」と尋ねられたニワトリのジョナサン。ジョナサンの元ネタは『カモメのジョナサン』の主人公のジョナサンだ。雪哉は「カモメのジョナサンを「冒険者」と評する。   

ジョナサンは「飛ぶ」ことに価値を見出すカモメで食事をとるのも忘れて骨と羽だけの状態になるほどに飛行の探求に勤しんでいる。しかし「飛ぶ」ことを餌を取る手段としか考えていない他のカモメたちからは彼は理解されず、やがて群れから追放されてしまう。

痩せ細り、群れから追放されてもなお「飛ぶ」ことを追及するジョナサンの姿勢はまさに冒険者である。彼は傷つくことを分かっていてもなお自分の「やりたいこと」を貫く冒険者の生き方を貫いている。

傷つくような生き方を志向しているという点で、カモメのジョナサンの生き方と沖倉駆の志向は共通する。*6しかし彼とジョナサンの間には明白な違いがある。傷ついてもなお「飛ぶ」ことを追い求め続けるジョナサンに対し、駆は傷つくことを恐れるあまり、どっちつかずの神頼みに縋っている。

どう生きたい?(再び)

ここまでの話をまとめてみよう。

まず前提として駆は自立を求められ、これから「どう生きるか」を問われている。「町を去る」という決断はこれらに対する駆の決断と解釈することができる。

次に他のキャラクターの生き方を考察すると駆の周囲には「やりたいこと」を優先している人間がいる。駆とずっと暮らしてきた母・美和子は「やりたいこと」のため夫と普段から別居する生活を送り、高山やなぎは「やりたいこと」のために好きな人の側を離れる決意をしている。またやなぎは駆にそんな自分と似た雰囲気を感じているようだ。

「町を去る」ということは母親についていくということである。しかしながら駆は親に追従するだけの人間ではない。親に従ってはじめた登山は、いつしか駆自身の「やりたいこと」となった。彼は決して親に従っているだけの存在ではなく自分の意思がきちんとある。このような駆の傾向を踏まえると、母親に従ってやむをなく各地を転々としていたのではなく一か所に留まらない生活を彼自身望んでいる可能性がある

駆の「やりたいこと」が具体的に何なのか、というと彼が直接何かを明言する場面はない。しかし駆が町を探索する様子や町にずっと住む人間ですら知らない者を発見する描写から察するに駆には探検家志向があると思われる。

探検家は一か所に留まらない。しかしながら一か所に留らない生活を送れば「唐突な当たり前の孤独」を避けられない。駆に探検家の志向があるとすれば、そこには「やりたいこと」を求めると傷つくというジレンマが潜んでいる。

ニワトリのジョナサンの由来である『カモメのジョナサン』は傷いてもなお自分の「やりたいこと」を貫く。ところが駆はジョナサンと違い「唐突な当たり前の孤独」で傷つくことを避けようとしている。

以上がこれまでのまとめだ。「唐突な当たり前の孤独」が彼の生き方を選ぶうえでの大きな障壁になっていることが理解できるのではないだろうか。駆にも「やりたいこと」がある。しかし彼は「唐突な当たり前の孤独」を避ける方を優先してしまっている。これが沖倉駆がハマってしまった落とし穴だ。

先述したとおり駆は「未来のかけら」によって「自分が安定した存在になる」ことで「唐突な当たり前の孤独」を克服しようとしていた。「未来のかけら」によって「唐突な当たり前の孤独」からもたらす苦痛に動じない自分になるという目論見である。

しかし9話で彼は「未来のかけら」が聞こえなくなる。彼の思惑はもろくも崩壊してしまう。

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「いつか不意に訪れる、唐突な当たり前の孤独のまた経験するのはもういいかなって」(10話)

もはや「唐突な当たり前の孤独」を完全に回避する方法は、他人との関りを断つほかにない。町に留まり、透子と思い出を重ねたところで「唐突な当たり前の孤独」を完全に排することはできないだろう。たしかに他人とさえ関わらなければ「唐突な当たり前の孤独」に直面しなくても済むが、孤独になってしまう。本末転倒とはまさにこのことだ。

深水透子の納得

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駆が「「唐突な当たり前の孤独」を避けるために孤独をなる」という本末転倒な決断をしたとすれば腑に落ちないことがある。それは深水透子が彼の決断に納得していることだ

11話で駆が母親についていくことを仄めかしたときに透子は強い動揺を見せた。しかし13話の「流星」を見る場面では透子は駆を一切引き留めようとしない。

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透子の態度の変化のきっかけは13話で彼女が沖倉美和子にリクエストした「ドラマチックな」演奏だ*7。このとき彼女は12話で「唐突な当たり前の孤独」を追体験した「未来のかけら」を見たはずだがその内容は全く描写されない。

一切描写のない「未来のかけら」は一体何だったのだろうか。はっきりと描かれていることは演奏を聴いた後で透子の態度が変化したということ。透子は駆がいなくなることを受け入れた。だとすれば「未来のかけら」で見たものが透子に駆の決断を肯定させたと捉えるのが自然ではないだろうか。

私が想像するに透子は見た「未来のかけら」は駆の「やりたいこと」を透子が追体験する内容だったのではないだろうか。そして透子が追体験したことは町に留まっていてはできないことだったのではないだろう。「町を去る」という選択に本末転倒な逃避だけでなく「やりたいこと」に向かう意思を感じられたからこそ、透子は駆を笑顔で見送ることができたはずだ。

最後に

以上を踏まえると駆の決断の意味は以下の通りになる。

「町を去る」という駆の決断は「唐突な当たり前の孤独」を避けるために孤独になるという本末転倒なだけの選択ではなく カモメのジョナサンのように孤独であったとしても自分の「やりたいこと」を求めようとした結果である。また母・美和子や高山やなぎのように愛する人から離れることになったとしても自分の「やりたいこと」に向かおうとする意思の表れである。こう結論付けたい。

 

今回の記事は描写をひとつひとつ拾い集め沖倉駆が町を去った理由を考察するという趣旨のものである。

グラスリップという作品は非常に情報量が多い。ただ分かりやすく情報を提示してくれないため、初見では見落としてしまうことも多いだろう。

しかしながら情報量の多さは必ずしも短所ではない。情報量が多いゆえに見返すことで以前にはできなかった発見をすることができる。見返す度に違った見方をすることができる。グラスリップの面白さはここにある。描写をひとつひとつ拾い上げ、その意味が見えてくる面白さを記事を通じて伝えることができたなら幸いだ。

*1:この作品は理解しづらいという評判ではあるが、よくよく見返すと各場面で同じような表現を何度も反復していることが分かる。詳細は「分かりやすいグラスリップ(後編)」を読んでもらえば分かるだろう。

*2:やなぎに関する詳細な考察は「分かりやすいグラスリップ(後編) 2-5-2. フッサールとやなぎと幸」を参照。

*3:他に喩えが浮かばなかった。

*4:グラスリップ設定資料集、204p

*5:ちなみに永宮幸も「でも、知らなくても、この町にずっと住んでいることの方が何倍も素敵だよ(9話)」 と同様の発言をしている。

*6:他のニワトリの元ネタの思想家たちも透子以外の4人と関連している。詳細は「分かりやすいグラスリップ(後編)」にて。

*7:演奏したのはショパンの幻想即興曲