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ジョイナスブログⅡ

アニメ、競馬など

沖倉駆はなぜ町を去ったのか?(沖倉駆は飛べたのか?)

アニメ グラスリップ 考察・感想 細江純子

 グラスリップの筋を大雑把に言ってしまえば、「沖倉駆が深水透子によって孤独から開放される」という話である。

しかしながら駆は自分を孤独から救ってくれた最大の理解者であり、恋愛対象として互いに惹かれ合ってるはずの透子を残し最終回で日乃出浜を去ってしまう。彼のとった行動は、一見すると理解しがたいかもしれない。

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ということで、なぜ沖倉駆が去ってしまったか?ということを考えていきたい。

 

 

最終話に至るまでの流れとして整理しておきたいのは

・駆は事あるごとに父親から「自立」を促されている。

・駆は母親に同行することを求められている。

・去っていくことを駆に仄めかされた透子は駆を引きとめようとする。

・透子は駆ママのピアノに導かれ「唐突な当たり前の孤独」を体験する。

・その後で透子は駆ママの奏でる「幻想即興曲」を聴きながら「何か」を見る。

・大急ぎでとんぼ玉を作り出す透子。

・透子と駆は「流星」を見る。ここで透子は駆を引き止めない。

という点。

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駆は今日まで母親の都合で各地を転々としながら暮らしていたが、これからは駆の意思を尊重しようと沖倉夫妻は二つの選択肢を駆に与えた。

それは「今までどおり母親と各地を転々とする」もしくは「日乃出浜で父親と暮らす」ということ。

母親の都合で転校続きだったことに関し、駆は「子供は扶養されているから仕方がない」と理解を示している。しかしながら駆パパは「中学生までは子供、高校生から大人」と彼を大人扱いしようとしている。連れて行く立場の駆ママも「ここでの生活楽しい?」と駆に聞くように、遠慮なく駆を連れて行こうというスタンスではないようだ。つまる話、駆は広義で自立を求められているということを、我々は頭に留めておいほうがいい。

 

11話で駆は透子に自分が去るかもしれないということを仄めかす。そんな駆を「来年花火を一緒に見よう」と透子は引き止める。

駆の母のピアノを聴くという「実験」の結果、透子は駆の抱える「唐突な当たり前の孤独」を「未来のかけら」の世界で体験することとなる。透子が駆の孤独に触れたことが、駆を孤独から開放することにつながるのだが…

 

「唐突な当たり前の孤独」の世界を見た透子は、駆の母に頼み、もう一度ピアノを弾いてもらう。「ドラマティックなもの」というリクエストに駆ママが選んだのはショパンの「幻想即興曲」。おそらく透子はこの演奏を通じて別の「未来のかけら」を見たはずだ。ただその光景はあざとくカットされている。何を見たか自分で考えろということだろう。


Yundi Li - Chopin "Fantasie" Impromptu, Op. 66 ...

その後の透子は大慌てでとんぼ玉を作ると、森の中で駆と「流星」を見る。この場面で透子は一転して駆を引き止めようとしなかった。それどころか「駆くんがこの町に来てくれてよかった」と話し、別れを受け入れてしまっているようにすら見える。

 

駆がなぜ去ったのか?という疑問を考えるうえで、透子が最終話でなぜ駆を引き止めなかったのか?ということを突き詰めていく必要がある。

駆と一緒にいたかったはずの透子が、駆を引き止めないことを選んだ。その理由を考えるにあたって彼女に何が影響を与えたかを考えると、それは「未来のかけら」ではないだろうか。「唐突な当たり前の孤独」の方ではなく、描写が省かれた幻想即興曲の方の「未来のかけら」である。この「かけら」を見た結果、透子は考えを改めるに至ったということだ。

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結果として透子は駆を引き止めなかった。素直に考えれば「駆と一緒にいたい」という自分の願いではなく「町から去りたい」という駆の意思を尊重したということになる。

駆が「町を去ろう」と考えたのは、「自分が一つの場所に留まると周囲に迷惑をかける」からで、これは井美雪哉とのいざこざや透子を幻影で振り回したことが念頭におかれている。それプラス、まだ彼の中で「唐突な当たり前の孤独」が解消しきってなかったことが挙げられるだろう。言ってしまえば逃避である。 しかしこれではきっと透子は納得できないだろう。それ故に透子は、未来のかけらを通じて納得できる何かを見出したのではないだろうか。つまり、駆が町を去ろうとするのには逃避ではない別の理由があり、その理由は透子にとって納得に値するものだったということだ。

 

駆が町を去ったもう一つの理由は、一つの場所に留まらずにいろんな場所を巡りたいから、だと自分は思う。

最終話で駆と父親が会話するシーン。駆の山登りはもともとは父親に付き合わされて始めたことだという。しかし駆は今でもそれを一人で続けている。それは山登りが好きになったからに違いない。

 

自分を各地に連れ回す母親に対して駆は「小さい頃は母親のやっていることが全て正しく思えた」と透子は語っている。つまる話、「正しい」母親に付き従い、各地を巡っていたのが昔の彼だったのだ。しかしながら山登りの例と同様に、母親に付き従って仕方なく放浪を続けてたのではなく、いつしか各地を巡ることが駆自身の楽しみであり喜びに変わっていったのではないだろうか。f:id:joinus_fantotomoni:20151103203039j:plain

また最終話で透子は雪哉に「他の4羽は哲学者の名前だが、ジョナサンだけが冒険者」ということを知らされる。ジョナサンは他所から来たニワトリで、比喩的な意味でジョナサン=駆である。つまり、駆は世界各地を巡る冒険者なのだ

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具体的にそれがどういうものだったかまではさすがに思考が及ばないが、おそらく透子は「未来のかけら」を通じて駆の「冒険したい」という想いに触れたのではないか。そしてその想いは逃避なんかじゃなくて、前向きな感情だったから、自分のエゴよりも好きな男の気持ちを尊重し、見送る道を選んだのだ。

 

しかしそれでは「花火を一緒に見る」という約束は叶えられないので、代わりにとんぼ玉を使った擬似花火を打ち上げようとした…というのが自分の見解である。

作中を通じて透子は常に「誰か」の為に一生懸命だった。そういう意味では透子は"変わって"はいなかった。

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駆の「自立」はどうなっただろうか。

まず駆が何を求められているかといえば、「町を出るか否か」の選択である。そして駆は「町を出る」という選択をした。

しかしながらここで重要なのは「何を選択したか」ではなく、「どのように選択したか」だ。

もしも駆が「唐突な当たり前の孤独」から解放されることなく町を出ていったとしたら。彼は日乃出浜で直面したあらゆる出来事から逃げるように町を去っていくこととなる。それは、彼としての本意の選択ではなく、「唐突な当たり前の孤独」に彼の意思をコントロールされた結果といえる。

駆が「唐突な当たり前の孤独」から解放された結果町を出るのならば、その意味が大きく変わる。孤独から開放されたならば、駆の意思を妨げるものは存在しない。よって駆は彼が心から望むことを、彼自身の意思として選択できるのだ。

沖倉駆の抱えていた問題は孤独そのものではなく、孤独のせいで自分の思うように意思決定できないことではないかと自分は考える。つまり駆は孤独のせいで「自立」を阻害されていたと言える。「唐突な当たり前の孤独」から解放されたことによって、駆は「自立」できたということだ。

「沖倉駆が孤独から解放される」のがグラスリップ。しかしそれはあくまでもグラスリップの大筋の半分でしかなくて、孤独から解放されることで沖倉駆が「自立」に至る物語だというのがきっと正確なのだろう。

 井美雪哉の「やりたいこととやりたくないことだけで世の中回っていない」という発言はある意味ではやりたいこと対して孤独が付きまとう駆の本質を突いていたというわけだ。6話で駆が必要以上に雪哉を挑発したのは、雪哉が知らずに駆の地雷を踏んでしまったから…かもしれない。

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そして「パンチ」に至るというわけである。

 

 

設定資料集「カゼミチアルバム」のスタッフインタビューで、P.A.WORKS代表取締役の堀川氏がこんなコメントを残していた。

true tears』のイベントの時、高垣(彩陽/石動乃絵役の声優)さんから「飛べるってどういうことでしょう?」という質問があったんですが、その答えがまだ見えていないなと思ったんですよね。ニワトリのジョナサンは駆を象徴していますが、「もし駆が飛べるとしたらどんなメタファーなんだろう?」とずっと考えていました。 (p.203)

西村純二監督の過去作「true tears」の主人公・仲上眞一郎はヒロインの一人・湯浅比呂美を愛していた。しかしながら夢だった絵本作家の選考に落選し、祭の踊りの花形の役も父親と比べられることを恐れて乗り気ではなかったくらいに眞一郎は自分に自信がなく、そのせいか比呂美に対して非常に奥手な態度をとっていた。そんな眞一郎を変えたのがもう一人のヒロイン石動乃絵である。眞一郎は自分に期待してくれた乃絵のために必死になり、その過程で自分の気持ちと向き合い、男として変わっていく。

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tt作中では「飛ぶ」という言葉がキーワードとして何度も繰り返し使われていた。「飛ぶ」というのは「葛藤を乗り越え、周囲や成り行きに左右されず自分の意志に従って決断する」ということのメタファーだと自分は考えている。仲上眞一郎は石動乃絵のおかげで「飛ぶ」ことができた。

この図式に当てはめると沖倉駆も深水透子の手によって葛藤(=唐突な当たり前の孤独)を解消し、自分の意志(=冒険)に従って決断(=町を出る)できたのではないだろうか。

 

残念ながら堀川氏の中では「駆は飛べたのか?」という問いに対する答えは先送りになったらしい。しかし自分の中では駆は「飛ぶ」ことができたんだと確信している。そう願いたい。

 

グラスリップでは「駆の自立」という命題を通じて、true tearsの「飛ぶ」というテーマが再現されていた。もしよければグラスリップを見る前に、もしくはグラスリップを見たあとでもいいからtrue tearsという作品に触れて欲しいなとこの記事を読んだ人たちに対して思う。