ジョイナス最後の戦い

Join Us Last Stand

永宮幸というキャラクターについて①

 沖倉駆の「唐突な当たり前の孤独」というのは、駆が転勤族(?)の子供であるが故に生まれる疎外感だった。駆が行く先々で出会う人々は、駆が土地にやってくるまでに多くの時間、思い出を積み重ねている。余所者の駆にはそれがない。その事実を思い知らされる瞬間、駆は「唐突な当たり前の孤独」に直面する。

 

 しかしながら、その土地でずっと過ごしている人間は疎外感と無縁かというと必ずしもそうとは言えない。そのことを証明する立ち位置にいるのが永宮幸である。

f:id:joinus_fantotomoni:20160416230655j:plain

  

 

 幸の「疎外」は1話冒頭から見受けられる。神社で深水透子たち4人が花火を見る傍ら、体調を崩した幸は自分の部屋で1人花火を見ていた。「病弱」というハンディを抱える幸は他の4人と同じように行動ができない。

f:id:joinus_fantotomoni:20160416230837j:plain

 顕著なのが3話。5人で山登りに行くが、幸だけは白崎祐の姉である百の車に乗って山頂に行くこととなる。また、山頂では水を汲みにいこうとする透子を手伝おうとするが、無理はしなくていいと遠慮される。

f:id:joinus_fantotomoni:20160416230906j:plain

 帰り際、透子は幸が病室に一人佇む「未来のかけら」を見る。透子はそれを「幸が入院する未来」だと捉えてしまう。しかし「未来のかけら」は未来を示すものではなく、12話の「唐突な当たり前の孤独の世界」が見せたように人の深層心理を表わすものである。病院に一人たたずむ幸の姿は何を示しているかというと、病弱であるが故に味わった幸の疎外感だと解釈できる。みんなと一緒に山に来ることはできたが、病弱故に様々な形で周囲に心配をかける幸は他の4人と対等ではないのだ。幸には山を登る苦しさも、水を汲みにいく煩わしさや疲れも味わえず、それらを誰かと共有できない。

 

f:id:joinus_fantotomoni:20160416231144j:plain

 沖倉駆も幸を疎外する存在だったといえる。幸は透子に対して恋愛感情を抱いているが、相手がノンケなので想いの実らせようがない。ただ、男である駆にはそれが可能で、透子が駆に惹かれていることは明らかだった。

 幸は透子から「キラキラしたもの」の存在を聞かされていた。祐や井美雪哉、高山やなぎはこのことを知らないから、その分幸と透子の関係は深かったといえる。しかし透子と同じような能力を持つ駆の登場によって、幸の透子との関係におけるある種の優越性は霞んでしまうこととなる

 2話で幸は透子からもらったガラス細工をかざし、キラキラしたものを見ようと試みる。当然彼女には見ることができない。しかし駆は透子と「同じものを見た」わけだ。「未来のかけら」を通じた駆と透子の関係に幸が入り込む余地はない。

 

 こうして見ると幸はあらゆる場面で他者と比べて不能な存在といえる。病弱な幸は透子や祐のように自分の足で山に登ることができない。駆のように透子と結ばれることはないし、キラキラしたものも見られない。他者には可能な事が幸には不可能なのだ。駆は「何かが欠けている」と自身を評していたが幸にも同じことがいえる。他者と比べて不能である故に疎外感が生じるのだ。

 

f:id:joinus_fantotomoni:20151112203234j:plain

 幸にとっての何より厄介な問題は、こうした「疎外感」を誰にも吐露することができないということだ。

 想いを吐き出したところで彼女の病が治るわけでもない。ノンケの透子に告白しても絶対に想いは実らないし、これまでの関係は崩れてしまう。もちろん「キラキラしたもの」も見られるようにはならない。誰かに自分の想いを言ったところでどうにもならない。言いたくても言えないのだ。だから「追放と王国」の女主人公や、「唐突な当たり前の孤独」を体験した透子のように「何でも…何でもないの」と胸の中に留めるしかないのだ。(つづく)

joinus-fantotomoni.hatenablog.com

joinus-fantotomoni.hatenablog.com

↑つづき