ジョイナスブログⅡ

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「愛されチンポキャラ・高木守道」について

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 「高木が叩かれて可哀想だから愛されチンポキャラにしていきたい」というのはつまるところ以下の通りだ。

 当時の中日ファンの間で、彼は「高木守道=敵/無能」という扱いだった。「高木守道=敵」というイメージを粉砕するにはどうすればいいか?最善策は「高木守道=味方/有能」という、既存のものの対偶のイメージを確立させることだ。しかし、それは事実上不可能だった*1

 ならば「敵/味方」「有能/無能」という枠から外れた、まったく別のイメージを持ち出そう。それはなるべく馬鹿馬鹿しく、しかし印象に残りやすいものがいい。そこで白羽の矢が立ったのが「愛されチンポキャラ」である。「高木守道=敵/無能」というイメージに、「高木守道=愛されチンポキャラ」というイメージをぶつけて後者を勝たせよう。これがおちんぽジョイナスだった。

 

 しかし上の説明は十分なものとは言えない。それは「愛されチンポキャラ」という発想に至った根源に触れられていないからだ。

 私は学生時代に露出狂に陰茎を見せつけられたことがある。露出狂は初老の男性、私は当時男子高校生だった。普通露出狂は異性に陰部を見せつけるのものだと思うが、なぜか私が選ばれてしまった。男がよかったのか、男でもよかったのか。それは今となっては知る由がない。

 痴漢やレイプの被害者と比べれば、私が受けた苦痛など些細なものだろう。自分は女性ではないから、女性が被るであろうジェンダー的な不快感とも無縁でもあった。

 しかしながら、私も性犯罪被害者だということは揺るがない事実。性犯罪とは他者を軽んじるということだ。自分が軽んじられたことへの屈辱は忘れられないし、なかったことにもできない。

 

 話を「愛されチンポキャラ」に戻そう。「なぜ私は愛されチンポキャラという発想に至ったのか」という問いを、「私にとっておちんぽとは何か」に問い直す。あの露出狂は、私に陰茎を見せつけることで私を軽んじた。私にとっておちんぽとは「他人を軽んじること」の象徴だ。「私たちを軽んじたもの」と言い換えてもいいかもしれない。故に、高木守道を露出狂として扱うことは、高木を私が若かりし頃に出会った露出狂と重ねることと意味する。

 「高木が叩かれて可哀想だから愛されチンポキャラにしていきたい」というのがおちんぽジョイナスの大義名分だ。しかしその内実は「ジョイナス~ファンと共に~」という当時の中日ドラゴンズのスローガン・チームの方針に対する揶揄である。

 チームの全盛期を築いた監督・落合博満を唐突に解任し、これ見よがしにファンサービス重視の方針を打ち立てたフロント。落合の解任は大方のファンにとって納得がいくものではなかった。ファン無視の人事を断行したフロントがファンサービスを謳う。これほどバカげたこともない。中日ドラゴンズファンは、他でもない中日ドラゴンズ自身から軽んじられたのだ。

 今にして思えば、当時の私はそんな中日ドラゴンズ、そしてフロントが据えた新監督高木守道に学生時代の私を軽んじた露出狂の男を重ねていたのかもしれない。ファンを軽んじた球団に対する怒りが、私の水面下で露出狂の男と結び付いて「おちんぽ」という発想を引っ張り上げたのだろう。なぜ「おちんぽという発想に至ったのか?」と自分に問いかけるなら、そうとしか答えようがない。

 

 ただこの答えは「愛されチンポキャラ」というコンセプトに明らかに矛盾するものだ。「高木を愛されるようにしたい」と言いながら、彼に悪のペルソナを背負わせていたのだから。高木を救うどころか、露出狂と結び付けて糾弾しようという意図すら感じとれるかもしれない。この矛盾に「高木が叩かれて可哀想だから愛されチンポキャラにしていきたい」という言葉の裏に隠された、私ですら無自覚だった私の本音が浮かび上がってくる。

 おちんぽジョイナスの世界では、陰茎露出がファンサービスとして成立している。ファンはおちんぽを求めているのだ。つまる話が、「陰茎露出」=「他者を軽んじること」という私の心因的なメタファーが、おちんぽジョイナスの世界では「陰茎露出」=「他者を喜ばせること(ファンサービス)」と転化しているのだ。メタファーが捻じ曲げられた世界では露出狂の男や中日球団から私が軽んじられたという事実が無化される。それは新海誠が『君の名は。』で描いたことにも通じるかもしれない*2。「高木を愛されチンポキャラにしたい」というのは建前で、私は結局のところ「軽んじられた」ことに対する屈辱感や憤怒から自分を解放したかっただけなのかもしれない。事実を無化するという方法で。しかしそれは虚しい幻想にすぎない。だってどんな事実も、本質的に「なかったこと」にはできないのだから。

 

 おちんぽジョイナスとは何だったのか。内省に内省を重ねた結果、私の被害者意識が創出した虚しい夢だったという事実に行きついた。とはいえ高木守道を露出狂扱いすることで「軽んじた」私には、露出狂や中日フロントを糾弾する権利はあっても資格がないだろう。

 7/17(明日)は高木守道の76歳の誕生日だ。彼の生誕を祝う代わりに、懺悔としてこの雑文を捧げたい。

*1:白を黒にはできない

*2:「死」の無化だ