ジョイナス最後の戦い

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アサ芸・細江純子コラム傑作レビュー2018①

 はじめに

 当記事はアサヒ芸能で連載されている「 [ホソジュン(細江純子)の競馬予想ブログ]ホソジュンのアソコだけの話」から選りすぐりの回を抜粋し、レビューをしようというものである。

 昨年、私は毎週分のホソジュンコラムをすべてレビューしようと思い立ち、4か月で挫折した。このブログの月別アーカイブを見ていただければお察しになられるだろうが、私はマメにブログを更新するというタチの人間ではない。掲げた目標が高すぎたのである。ゆえに、今年は2,3か月に1度、一記事に3,4回分を厳選し紹介していこうと決めた。この試みを1年続けていく。遅くなったがこれが私の2018年の抱負である。

「ガバガバで走らない牝馬のアソコをホチキスで留めたら激走した…!?」2018/01/12

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 2018年のホソジュンコラムは、キンタマを食いちぎられた調教師の話と医療用ホチキスでアソコを留められた牝馬の話ではじまった。これらの痛々しいシモネタは純子によるものではない。ヤッテマッタ発言で競馬ファンにおなじみのI騎手と競馬ワン〇ラーでおなじみのフリーアナウンサーA氏によるものである。ホソジュンコラムでは、このように純子以外の人物がシモネタの語り部となることも珍しくない。みんなシモネタが大好きなのだ。

 この記事最大の見どころは、「馬に睾丸を1つだけ噛む器用さがあるのか?」という純子の疑問に対するI騎手の「タマタマじゃない」という返答だろう。

 果たしてデムーロルメールにこの場面で「タマタマじゃない」という返しができるだろうか?きっとデムーロはたじろぎ、ルメールに至っては武豊に助け船を求めるだろう。「もうデムーロルメールより日本語が下手とは言わせない」と言わんばかりのI騎手渾身の返しである。

 レッツゴードンキとのコンビ復活で高松宮記念参戦がつい先日決定したばかりのI騎手。私はディープブリランテが好きで(キタサンブラックのことを「お利口なブリランテ」と呼んでいたくらいに)、ダービーを制し馬上で涙するI騎手の姿には胸が震えるものがあった。I騎手が目立たないG1戦線には寂しいものがある。是非とも競馬の方でもデムーロルメールに一矢報い、久々のG1勝利を飾ってもらいたいものである。

「4歳の息子から注意されるなんて!?シモネタ卒業を本気で考えねば‥‥」2018/01/19

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 ホソジュンコラムが映像化するとしたら、最終回に使ってほしいようなエピソードである。

 クレヨンしんちゃんをさらにスケベにしたようなあの息子が、母親の下品な言動を諫める。パッと見まじめそうな競馬番組の女性解説者が連載中のコラムでドギツイシモネタを連発している、くらいの衝撃がそこにはあった。

 驚きだけではない。この回は私にある種の感慨深さを抱かせた。私はアサ芸のホソジュンコラム以外にも、netkeiba、JBISサーチで掲載されている細江純子氏のコラムも読んでいる*1。どのコラムでも、純子の息子の話題が頻繁に出てくる。それだけに、彼がシモネタを言う母親を注意し、徐々に社会化されつつあることに心が動かされるものがあった。会ったことすらない幼児の成長を「よかったなあ」と思う自分に気味の悪さを覚えながらも、温かい読後感を噛みしめるようにコラムが掲載されている風俗情報サイトのブラウザをそっと閉じた記憶が今でも鮮明に残っている。

 しかしなんといっても今回のシモネタコラムとしてのキモは、変わりつつある息子と対比されるように描かれるいつも通りの純子のシモネタだろう。

スーパーで大きなマツタケを見つけた私が「見て! 大きなオチ○チン」と、息子を笑わせようと指さすと

 このようなホソジュンコラムの歴史の中でも屈指のキラーフレーズのみならず

「じゃぁ、ウンチ+オシッコは?」

普段と変わらないどころかもはや童心に返ったとしか思えない発言も飛び出してくる。私もいい歳して下品な人間だという自負があるが、スーパーのマツタケを見て「大きなオ〇ンチン」と言ったり、ウンチとオシッコを足そうという発想が頭に出てくることは絶対にないだろう。考えてみれば、細江純子はただのシモネタ大好きおばさんではない。大人から子供まで、幅広い世代のシモネタ大好き人間たちと渡り合ってきた猛者なのである。私ごときが敵うはずがない。格が違う。

 息子の成長を実感する喜びと息子がシモネタから離れていく哀しみが入り混じりながらも、いつも通り、いや、いつも以上のシモネタを見せつけてくれた純子。この回は過去最高といっても過言ではない。ボルトの回や「先出し・中出し・後出し」の回すらもこの親子とシモネタの物語には太刀打ちできないだろう。文句なしの細江純子オブザイヤー2018最有力候補である。

「過去に書いた自分のコラムで大笑い 私が誇れるものは「シモネタ」だけ!?」2018/03/02

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 とある人から「今年は今までとは違う流れになる」と言われ、実際に想像もしていなかった別分野での仕事や企業の方との出会いが生まれていると語る純子。「ここからどうやってシモネタにつなげるんだ?」と思いながら読み進めていく私を待ち構えていたのは、まさに想像外の衝撃の展開だった。

 自分でパソコンに「細江純子」と入力して検索してみると、なんと、わざわざ、このコラムのシモネタ部分をピックアップしてくださっているお方が! 読み返すと、ケラケラと笑えてしまい〈私、こんなにすばらしいシモネタの数々を書いていたのね〜〉と自分に驚きました。

 これまで顔=ブス、騎手=三流と、自分に誇れるものがなく人生を歩んできましたが、こんなすばらしい文章を書いていたなんて。記事を掲載してくださったジョイナスブログⅡ様とシモネタに感謝、感謝です。

 

 なんと、このブログのことがホソジュンコラムに取りあげられていたのだ。

 「細江純子 コラム」で検索すると、当ブログ「ジョイナスブログⅡ」は上位にヒットする。だから「ひょっとしたら本人が見ていてもおかしくはないかなあ」とは考えていた。しかしながら、本人からシモネタコラムで言及されるとは夢にも思わなかった。

 ホソジュンコラムの面白さを多くの人に伝えたい。そして、ホソジュンコラムが書籍化される流れになればいい。そう思って私はホソジュンコラムのレビューを書きだした。私は、反響を求めていた。しかし、まさかこのような反響がくるとは想定外だ。

 スマートフォンのディスプレイを見ながら驚きと動揺を隠せない私だったが、私のブログをきっかけに自分のシモネタを読み返し、ケラケラ笑ったという話に、「そりゃそうだよなあ」と冷静に納得する部分もあった。純子のシモネタを純子が笑う。それは当然だろう。シモネタとは、結局は自分が笑うために言うものなのだから。シモネタ大好き人間にとっての常識だ。

 つまる話、私のブログは純子のシモネタに純子本人を笑わせるという本来の役目を再び担わせるきっかけを意図せず与えたのだ。そう思うと、嬉しい気持ちになった。シモネタコラムの面白さが届くべき人に届いたのだから、自分もブログを書いた甲斐があったのだと感じることができた。もちろん、自分のブログを本人に取りあげてもらえたという事実だけでも嬉しかったわけだが。

 私のブログをきっかけに、自分のシモネタで笑ったという話をコラムに書いてくださった細江純子氏に感謝したい。そして、掲載してくださった徳間書店の方々にも感謝したい。氏の今後より一層の活躍を願うばかりである。

*1:どちらもエッセイテイストであるが、シモネタは一切ない。netkeibaの方のコラムとアサ芸のコラムのweb掲載日はどちらも金曜日なので、両者を読み比べてみるとまた違った面白みがあるかもしれない