ジョイナスブログⅡ

アサヒ芸能で連載中の「ホソジュンのアソコだけの話」の感想・二次創作等を掲載するブログです。

ジョイナスブログⅡの今後

細江純子オブザイヤー2018

 細江純子のコラムが風俗情報サイト「アサ芸風俗」から消えてもう1か月が経った。

 ホソジュンコラムの存在自体が消えたわけではないのだが、掲載がアサ芸本誌のみになってしまったからにはもう以前のようにwebでシェアするのは難しい。断裁したものをスキャンするなり深夜ラジオみたいに書き出すなりいろいろ手段はあるとは思うのだが、そこまでやると私の心のビートたけしに「まじになっちゃってどうするの」と言われてしまいそうだ。

 私はここ2年くらいブログで細江純子のことばかり書いてきた。細江純子の冴え渡るシモネタと日に日に洗練されていくコラムの構成は私にブログを書く情熱を与えてくれた。でも、雛鳥が親鳥の下から離れていくように、いつかは細江純子から自律しなければいけない。このままでは細江純子のことばかり書き続けるゾンビになってしまう。ホソジュンコラムのweb撤退は巣立ちのいいきっかけなのかもしれない。

 ということで、ジョイナスブログⅡのホソジュンコラムレビューはここらで潮時ということにしたい。いつもなら年末にやる「細江純子オブザイヤー」を3か月も前倒しで発表して幕引きとしよう。

 細江純子オブザイヤー2018は「2走前の東京新聞杯(1着)の内容から武豊騎手騎乗リスグラシューに期待!」だ。選評は当ブログの記事「アサ芸・細江純子コラム傑作レビュー2018②」に書かれているので是非読んでもらいたい。

asageifuzoku.com

joinus-fantotomoni.hatenablog.com

言いたいことも言えないこんな世の中じゃ2018

 私はこれから何を書けばいいのだろうか?

 細江純子のことを書かずに、何を書けばいいのだろうか?

 というか、私に何か言いたいことがあるのだろうか?

 

 反町隆史は言った。「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」と。

 あれから20年。私は「言いたい」と思うことが少なくなった。

  今から約5年前、私は何をやっても批判される当時の中日ドラゴンズ監督・高木守道を哀れに感じていた。高木への批判が和らぐように、高木を主人公にした「ジョイナスレ」というSSスレッドを匿名掲示板に定期的に立てていた。「ジョイナスレ」によって高木を「批判の矛先」ではなく「笑えるおじいちゃん」としてイメージ付けしようと考えたのである。自分で言うのもなんだが、「ジョイナスレ」はネットの一部にウケていた。

 ただ結果として高木のイメージを転化する試みは失敗だった。気になる人は「高木 退任スピーチ」と検索するといい。

 当初の試みが失敗してもなお、私は「ジョイナスレ」を立て続けた。失敗を認められなかったわけではない。包み隠さず言えば、ウケたかったのだ。目的がいつの間にか私の中で「ウケたい」にすり替わっていたのだ。

 私が「言いたい」と思うことが少なくなったのは、こういう「ウケたい」自分への自己不信が原因なのだ。「ウケたい」という気持ちは自然である。同意や賞讃は気持ちいい。しかしその「快」は麻薬だ。気持ちよすぎて、本当に伝えたいことが伝わらなくてもどうでもよくなってしまう。同意や賞讃さえ得られさえれば、自らを欺くことも厭わなくなる。自分の本心ではなく、ウケのいい理屈を優先する。こんな自分の在り方に気づき、ひどく虚しくなってしまったのである。こうした虚しさを感じず済む方法は、口を噤むかレイザーラモンRGのあるあるのようなしょうもないことだけを言う他にないのである。

 だから、ポスト細江純子ジョイナスブログⅡは、「それでもなお私が主張したいこと」を書くブログとしてやっていければと思う。

 

 「それでもなお私が主張したいこと」。そんなものがあるのだろうか。

 あるじゃないか。グラスリップが。

 グラスリップを包括的に論じたい*1と思いつつ、試みては挫折するという営みをここ2年繰り返してきた。そろそろ片を付けたい。最速でウマ娘のアプリの実装まで、遅くとも喜多日菜子がCDデビューするまでには何とかしたい。

*1:グラスリップが「意味不明で破綻したアニメ」という扱いをされるのは可哀そうだと思う。そうではないということをきちんと論証しなければいけない。