ジョイナス最後の戦い

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ゆゆ式との出会いに感謝 / ゆゆ式感想

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10話「楽しいから」でゆずこが美術部から借りた人形を壊してしまい、彼女一人で謝りにいっている間に唯と縁が情報部室で二人きりになるシーンがある。

 


なかなか戻ってこないゆずこを心配したのか唯が「(私たちも)ついてきゃよかった?」と縁に聞くと、 それに対し縁が「よくないよ ゆずちゃん嫌がるよ」と答える。
そして唯と縁はしりとりをはじめだす。唯「サメ」→縁「メスゴリラ」→唯「ラメ」→縁「メス…」そしてメスはやめろと突っ込む唯。

似たようなシーンがもうひとつ。7話でゆずこと唯が新年初めて顔を合わせた次の日に、今度は縁が唯と会い、唯の家に行く。縁は唯の家に着くなり「ジュースをこぼした床がきれいになってる」というしょうもないことに笑うと「疲れた」と言い寝てしまう。

ゆずこがボケてネタを振り、唯がツッコミ、縁がそのやりとりにノリつつ笑う。これがゆゆ式のメイン三人の関係といっても過言ではないと思う。
「楽しいから」のしりとりのくだりは、ゆずこ不在という状況が生まれたことで、この三人の関係が逆説的に強調させられていたように感じる。「サメ」ときて「メスゴリラ」と返した縁に対し、「メス~」と答えるを誘導するように唯が「ラメ」と続ける。小さな頃に次の順番の子に「マ○コ」と言わせる為に「コマ」とか「シマウマ」とか語尾を「マ」で縛って自分がしりとりをしたことを思い出し懐かしくなったがそれは置いておき、このしりとりのシーンにおいては縁の笑顔は見られない。「ゆずこが怒られているかもしれない」という心配感を引きずっている故にそれは必然かもしれないが、ゆずこがいなくなったことにより「縁が笑う」という構図がここで崩れてしまう。

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7話の唯の家に来た縁についても同じことが言える。「ジュースがこぼれた床がきれいになった」ことに笑う縁、人の家で寝てしまう縁。どちらもはキャラ的にはそこまで不自然ではないかもしれない。
これと対称的なシーンがある。また10話なのだが「めんどうくさいという魔物」に会ってしまった縁は学校に来たものの、唯とゆずこに会ったら帰ろうと言い出す。その前日に、ゆずこが四コマを描き、「唯ちゃんも帰ったら四コマ描くでしょ?」と言うやりとりがある。(実際に唯は描いたものの、出来に不満足だったせいかお蔵入りにしてしまう。)帰ろうとした縁の前で、ゆずこはその前日のやりとりをむしかえす。すると縁は帰りたいと言っていたことを忘れたかのように、楽しそうにゆずこに便乗して唯をからかいだす。

こうしたやりとりから縁にとってのゆずこは、 「自分を楽しませてくれる。笑わせてくれる」存在だというのが伺える。そんなゆずこがいなければ、「愛している」唯と一緒にいても笑えなかったり、寝てしまったりしてしまう。「めんどうくさいという魔物」 にも屈してしまうのかもしれない。
これもまた10話なのだが、縁が「ゆずちゃんってときどきほんとうによくわかんないよね」と言ったことが発端になり、ゆずこが(半ばノリで)いじけてしまうというくだりがある。いじけるノリが長すぎたのが、ノリでいじけるのをやめたゆずこは疎外感を感じてしまう。そんなゆずこの雰囲気を察して、縁はゆずこに「愛してるよ」と言う。
「ときどきほんとうによくわかんない」かもしれないが、ゆずこが自分たちを楽しませようとしてくれていることを縁は理解している。理解しているからこそ、謝りにいったゆずこについていったら彼女が嫌がるのも分かる。そんな縁が言う「愛しているよ」には、この上もない説得力がこもる。

ゆずこにとって(またゆずこに便乗する縁にとっても)唯というキャラは、縁同様に「ツッコミ」もしくは「恥じらい」といったリアクションを必ずしてくれる存在だ。初期では「憧れ」という眼差しで唯を見ていた相川さんにさえも、終盤には「櫟井さんってからかいたくなるような何かがある」と思われるような唯の「何か」とは、こうした唯のリアクションのことだと思う。胸を触られ、水着を着ることをせがまれるなどセクハラまがいな扱いを受けても、殴ることはあれどゆずこを精神的に強く突き放すことはない。やりすぎたと思えば最終話のように絶対に謝ってくれる。こういうタイプの人間もゆずこにとって安心感を覚えるタイプだ。それ故に、ゆずこは唯とのコミュニケーションを楽しめる。

この地球上で学校教育を受けたほとんどの人は、クラスの人気者という属性の人間に会ったことがあるだろう。そのクラスの人気者にも多くのタイプがいるが、野々原ゆずこというキャラクターは卒業文集で「将来お笑い芸人になりそうな人」と書かれるタイプの人気者に近いと思う。クラスメイト笑いのツボを抑え、貪欲に多くのクラスメイトの笑いをとりにいく、目立ちたがりの人間だ。しかし、ゆずこは「クラスの」人気者ではない。唯、縁、彼女自身の三人からなる狭いコミュニティーの中で彼女は徹底的にボケ倒す。クラスではなく、狭いコミュニティーの中で、唯と縁だけに対して全力を尽くすゆずこ。そこに愛以外の何があるというのか。

唯というキャラクターは割とこのアニメのミソだと思う。
恥じらいを見せる割には、櫟井唯というキャラクターは非常にノリがいい。ゆずこと縁のツッコミを求める振りに対し、彼女は全力で応えている節さえ見受けられる。
どこかのレビューサイトでも言及されていたが、唯は1話の冒頭で高校の制服を着た自分を見たゆずこと縁の振る舞いを予想し、彼女たちの出方をどこか伺っている。この記事の頭で書いたしりとりの場面についても同じで、ゆかりが「メス~」と続けることを期待しているからこそ、再び「~メ」で締める言葉を選択している。
そして象徴的なのは11話の 「握手会か!」というゆずこに対するツッコミ。これがどうもゆずこには響かなかったのか、ゆずこはせっかくの唯のツッコミをスルーし、相川さんをいじりに行ってしまう。このツッコミに自信があった唯は、納得いかないよういに相川さんをいじりにいくゆずこを見つめる。彼女がツッコミに対し自信を感じているというのが、ツッコミに対し思考錯誤している、全力で取り組んでいるという姿勢の何よりの現れ。ツッコミに必死になり、ゆずこや縁が喜ぶような反応を見せる櫟井唯から愛を感じてやまない。ゆずこ、縁と過ごす時間を大切に思っているという気持ちを劇中で唯がさらっとこぼすことがあるが、それがなくても彼女が彼女たちとのやりとりを楽しんでいるというのがこうした点からも伺えるだろう。

ゆゆ式のメイン三人が互いに互いを楽しみ合っている、好き合っている。こういうところに僕は言葉では満足に伝えきれない好感を覚える。「すきだ」「愛してる」と言われても、言葉だけでは本当なのかどうか疑いたくなるようなこの時代。相手をもっと笑わせたい、もっと笑いたい。そして笑う。イベントはないけれど、ゆゆ式には少女たちのお互いへのこんな確かな愛がある。それを実感できた。 もう放送は終わってしまったが、何度も繰り返して見ればいろいろな発見ができるアニメだと思うので、時間の限り何度も見ることをおすすめします。