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ジョイナスブログⅡ

アニメ、競馬など

小田ラップの書き方について / はじめに

ジョイナス

~弾けりゃYea! 素直にGood! だからちょっと重いのはBoo!~

かの有名なスーパーアイドルグループ「嵐 」のデビュー曲「A・RA・SHI」の冒頭のラップパートの有名なフレーズである。

まず言わせてほしい。「Good!」「Boo!」は韻が踏めてるが、「Yea!」は踏んでないじゃないか。

 


しかし嵐だからそれは許される。というか別に誰だろうが問題ない。トラックに合わせてメロディをつけず、しゃべるように歌えばどんなフレーズでもそれっぽく聞こえるというのがラップだ。韻を踏むとかっこいいのは確かだが、あくまでも韻を踏むのは努力目標にすぎない。だから別に「Yea!」「Good!」にも「Boo!」にもかかってなくたって問題ない。フレーズごとに韻を踏んでもいいし、踏まなくてもいい。これがラップに対する僕の素人なりの見解だ。人それぞれ、いろいろな見識があるだろうからこの見解を一般化しようとは思わない。あくまでも僕はラップというものをこう捉えている。そんな前提でこれから書くことを読んでもらえるとありがたい。

ところが、小田ラップではフレーズごとに韻を踏む必要がある。
なぜ小田ラップではフレーズごとに韻を踏まなければいけないのか?

当たり前の話だが、小田ラップには曲がついていない。詞が、淫語舞い散るジョイナスレの文脈の中で、たった一行だけ提示されるだけだ。さすがの櫻井クンも、一行だけしかラップパートをやれないなら困ってしまうだろう。
しかし、小田には原則的に一行しか用意されない。その一行の単語(フレーズ)の羅列を、櫻井クンのように曲に合わせてサクラップできるわけでもない。詞を見せるだけで、それを受け手にラップと認識してもらわなければいけない。
とは言ったものの、このはじめのハードルは曲がりなりにも小田ラップを作り終えた時点で半分クリアされている。ジョイナスレ読者は、ジョイナスレの文脈の中で小田「」という記号がラップを想起させる記号だということを知っているからだ。小田ラップ誕生の経緯はこちらに書いてあるから興味があったら読んでほしい。とにかく、小田のセリフはラップ調というお約束が既に周知させているから、当然受け手は小田のセリフをラップとして読もうとする。


 つまる話、受け手は期待しているのだ。西村京太郎にトラベルミステリーを期待するように、もしくは谷繁元信にシゲシゲファイトを期待するように、受け手は小田にラップを期待しているのだ。「ラップをこれから読む」という期待が受け手にあると読んだものがラップの体をなしていなかった場合失望されるのは当然だし、ラップの体を為しているだけに飽きたらず、ラップに唸らせるような技巧を受け手が求めている可能性があるというのも、ラップを期待しているという前提がある故だ。しかも期待を寄せる人間は不特定多数であり、少なくとも不特定多数の期待値の平均以上のものを小田ラッパーは提示しなければならない。僕には統計学的な教養はないので、こうした不特定多数の期待値を測る上で頼れるのは己の匙加減だけである。
匙加減をしていくうえで感じたことは、多くの人間の期待を上回るには「何をやったらウケるのか」よりも「何をしたらウケないのか」を優先したほうがいいということである。これは個人的な見解にすぎないのだが、世の中には自分の中で物事を評価する際に減点法を使う人が多いような気がする。学校のテストのように「いかに減点しないか」が重要な評価メソッドに慣らされているせいか、加点行為よりも減点行為のほうが世の中の人間にとって意味があるように感じるのだ。それはさておき、減点を減らす、リスクを回避するというのは常識的に考えて有効なことだというのは疑いようもない。
たとえば、
受け手に対して「弾けりゃYea! 素直にGood! だからちょっと重いのはBoo!」というフレーズの羅列を提示したとしよう。「Yea!」が「Good!」にも「Boo!」にもかかっていないことにガッカリ(減点)されるかもしれない。アラシック(嵐のファン)には「Yea!」が「Good!」にも「Boo!」にもかかっていないことを気にする人はいないかもしれないが、それはアラシックは嵐の曲を聴ければ満足する生き物だからに他ならず、ジョイナスレを読めれば満足というジョイナスレ読者はおそらくいない。
こういう書き方だと「アラシックは嵐の曲ならばたとえ大麻について歌った曲だとしても喜ぶ」みたいに捉えられそうだが、そういうことではない。あくまでも好きなアーティストの歌を聴く喜びが、ラップが韻を踏んでないことに勝る、という話だ。それに引き換え小田はリリックを提示するだけで歌ってくれるわけじゃないから、そこらへん櫻井クンと比べて不親切だよね、というわけだ。考えてみれば、小田=ラップという記号があるから小田ラップはラップとして見てもらえているにすぎず、「歌う」という形をとれない以上小田ラップはラップとしては不完全なものと言える。マイナス(減点)から小田ラップはスタートしているのだ。


ここで「
なぜ小田ラップではフレーズごとに韻を踏まなければいけないのか?」という問いかけに答えたい。答えは簡単だ。それくらいはしなければ満足してもらえないのが小田ラップだからだ。
櫻井クンのように小田ラップを歌う人がいない以上、フレーズごとにを踏みラップとしての体裁を整える必要がある。歌うことでラップてしての体を為せないなら、全フレーズで韻を踏むくらいには徹底しないといけない。「韻を踏むことを現実のラップ同様努力目標にするのは受け手とっては微温い」と考えれば、受け手の不満を避ける意味で、小田ラップでは前フレーズで韻を踏むべきだというのが僕の小田ラップに対する大前提だということを示し、次回は小田ラップの具体的なメソッドを記す実践編だということを予告しつつ締めくくります。