読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ジョイナスブログⅡ

アニメ、競馬など

【アニメゆゆ式放映開始ほぼ一周年記念】相川さんとゆずこに見る「ゆゆ式」

アニメ

相手が求めている反応をする。ゆゆ式においてよく見られるテーゼである。
7話でゆずこが唯に彼女がよく困った顔をしていると指摘するシーン。
その困った顔が「たまらん」と求める唯にゆずこ&縁。そして困る唯。需要と供給の自然な一致。思い出すだけでもたまらないシーンだ。
10話の美術部に謝りにいったゆずこに「ついてきゃよかった?」と聞く唯に縁が「ゆずちゃん嫌がるよ」と答えるシーンは逆説的だ。ゆずこの求めない反応を、縁は分かっている。そういうことが伺える。

 


とは言っても彼女たちは、いつでも、どんな時でも相手の求める反応をしたり、相手の求めない反応を避けたりする訳ではない。ゆずこと相川さんとの絡みがいい例だ。

相川さんは、始業式で優しくしてくれた唯に好意を抱いている。一方、ゆずこ、縁のノリにはついていけず、苦手にしていた。
相川さんに苦手にされていることを唯から聞かされるゆずこ、縁。二人はそのことにショックを受けたのだが、それでもいつも通りの、相川さんの苦手にするような絡みを見せていく。相川さんに苦手にされてることを知ったうえで、彼女の困惑する絡み(いつも通りのおバカな絡み)をしたゆずこと縁は一見配慮がないように映る。

f:id:joinus_fantotomoni:20151103174734j:plain


この後で、相川さんとゆずこが本屋で仲良くなるというエピソードが描かれている。と言っても彼女たちが仲良くなる過程が直接描かれているわけではない。本屋でゆずこを見かけた相川さんは、咄嗟にゆずこから隠れてしまう。それに気づいたゆずこが声をかけようか迷うところで描写がブツ切られ、後に彼女たち二人がメールを送り合う仲になったことが明らかになる。きっかけと結果が提示されただけで、相川さんとゆずこが如何にして仲良くなったかは描かれなかったわけだ。描かれなかった過程は、なんとなくは想像することはできる。相川さんはゆずこが自分と同じ作家が好きだということを知る。これがとっかかりと考えるのが自然だろう。そして、相川さんの「本屋さんでは普通だったのに」発言。「本屋さんでは普通」だったということは、普段のゆずこは相川さんに「普通」だと思われていないということである。つまりゆずこは、本屋で普段とは違う態度で相川さんに接し、結果打ち解けた、ということである。
以前にも書いたが、ゆずこはただのお調子者ではなく、分別のある賢い子だ。相川さんと打ち解けることができたことはゆずこのコミュニケーション能力の高さを物語っている。そんなゆずこでも相川さんに接する態度を間違えてしまった。なぜゆずこは相川さんへの接し方を間違えてしまったのだろうか。

相川さんは「ずっと気になっていた櫟井さんたちと仲良くなれた」ことを喜んでいる。唯だけではなく、ゆずことも縁とも仲良くなりたかったのであろう。しかし、ゆずこや縁と仲良くなるには彼女たちのノリに付き合う必要があり、ゆずこたちに合わせるには相川さんはシャイすぎた。それ故ゆずこたちが相川さんに合わせる必要があったのだが、ゆずこと縁にはそれが分からなかったのである。つまる話、理解の欠如故の問題だったのだ。ここまでは。しかし、唯から相川さんに避けられていることを聞いた上でなお、ゆずこと縁はなお相川さんに面倒くさい絡みをしにいく。なぜだろうか。
「ゆずこたち三人の中では、ゆずこがボケ、唯がツッコみ、縁がゆずこに便乗しつつ笑うというやりとりが定型化 している」というような趣旨の話を以前に書いた。ボケ役たるゆずこの芸人魂は見上げたもので、わざわざ4コマ漫画を書いてきたり、ネタのためにシュノーケルセットを持ってきたりと入念である。最終回で「私はね、こうして縁ちゃんが笑ってくれればそれでいいかなって」とゆずこが縁に言うシーンがある。ゆずこには縁や唯を笑わせたい、という行動指針がある。この行動指針が強すぎるが故にゆずこは相川さんに避けられていると分かっていても、相川さんへの配慮よりいつものノリを選んでしまったのではないのだろうか。そして縁もゆずこに便乗することを選んでしまったのである。
ここで思い返したいのは、ゆずこが本屋では相川さんに「普通に」接したということだ。本屋での出来事はゆずこと相川さんだけの間の話で、そこには唯と縁はいない。ゆずこは唯と縁を笑わせたいだけだから、唯と縁のいないところではボケる必要がない。唯と縁のいないボケる必要がない場面だったから、ゆずこは相川さんに「普通に」接することができたのだ。これはゆずこは唯と縁の目の前では「普通」ではいられないということを意味する。それがそぐわないシチュエーションでもゆずこは唯と縁を笑わせるためにボケつづける。「私の世界の真ん中は唯ちゃんなんですけどね」というゆずこが「二人きりだと冗談っぽくない」という理由で言わなかったあのセリフは、冗談ではないのだ。

唯と縁との間に築いた関係が、ゆずこにとって不合理な選択をさせる。
以前書いた感想では彼女たちの関係を美化出来るだけ美化したが、こうした「危うさ」があるのは否めない。
アニメ放送中、「ゆずこは無理をしている」と感じていた人は少なくなかった。僕も正直そう感じていた。必死に道化になって、唯と縁の関心をひこうとしているように見えなくもなかった。

しかしながら、ゆずこが無理をしているとして、その無理は十分報われているのではないだろうか?
ゆずこの危ういまでの献身を、唯と縁はしっかり受け止めている。それぞれ「ツッコミ」と「笑い」という形で。ゆずこは唯と縁の関心をひくことに成功し、縁は笑い、唯もたまにツボに入る。努力に見合ったものをゆずこは得ている。そう言っても過言じゃない。ゆゆ式の放つ多幸感はゆずこが無理をしているからこそ眩しいのだと、アニメゆゆ式の放映開始から一年が経ってしみじみ感じました。