ジョイナスブログⅡ

アニメ、競馬など

ジョイナスレとアニメ「ゆゆ式」 ~あれから4年と3年~

2012年の5月6日、つまる話4年前の5月6日はid:hQde/bNF高木「おちんちんジョイナス!ファンと共に!」を立てた日だ。

43 :風吹けば名無し[]:2012/05/06(日) 17:50:14.70 id:hQde/bNF
高木が叩かれて可哀想だから愛されチンポキャラにしていきたい 

ということを当時の自分は言っていた。当日の必死を見ると高木守道にチンポキャラというキャラ付けをして、なんとか愛され路線にもっていこうと試行錯誤する涙ぐましい姿がうかがえる。

 


「おちんちんジョイナス!ファンと共に!」は横浜対中日のデーゲーム中に立てられた。試合は筒香嘉智選手の2打席連続ホームランで横浜DeNAベイスターズ高木守道監督率いる中日ドラゴンズを叩き伏せるという内容で、しかも同一カード三タテというオマケがついた。この試合を見たことによる感情の昂ぶりが、「おちんちんジョイナス!ファンと共に!」を生み出し、「浅尾きゅんのM字開脚おちんぽユニコーンのおまけ付き」であり「ファンサービスに力入れる言うから、これくらいやってくれると思ってたわ」というフレーズをひねり出したのである。つまる話、筒香がいなければジョイナスレはこの世に存在しなかったということだ。だからみんなには、筒香がホームランを打つたびに高木守道のことを思い出してほしいと思う。高木守道を忘れるな。

そんなジョイナスレだが、初期は里崎SSスレを下敷きに、「コロコロコミックで連載されているような下品さ」をコンセプトにして書かれていた。里崎SSスレを知らない人はぜひググって読んで欲しい。おそらくジョイナスレの数百倍は面白いだろう。そんな超絶面白ネタスレからキャラの立ち位置や性格を拝借しているのがジョイナスレである。高木は小谷野を、浅尾は里崎を、吉見は坂本をイメージした立ち位置。そこに坂井や荒木、小田などのちょっとしたスパイスを加えつつ、カッスレのようなエログロな内容ではなく小学生の目線を意識したような幼稚で下品な内容を心がけていた。その過程で小田ラップだけが取り沙汰されるようになり、「ウケるのはうれしいが、小田ラップだけが注目されるのは不本意」という葛藤を解決するうえで福谷が投入された。このときの話は以前に書いたので、もしよかったら読んでもらいたい。→【ジョイナスレの福谷について】

解説キャラとして福谷が定着していったあたりで「コロコロコミックのような」というコンセプトからジョイナスレは転換を迎えることとなる。下品で狂気じみた内容ではなく、キャラの掛け合いを意識させほのぼのとした内容にシフトしようという転換である。ここで影響を受けたのが「ゆゆ式」だった。→【ゆゆ式との出会いに感謝 / ゆゆ式感想】【相川さんとゆずこに見る「ゆゆ式」】


ゆゆ式」はゆずこ、唯、縁がそれぞれボケ、ツッコミ、観客(笑う)という役割を荷い、お互い徹底的にその役割を演じることで日常を楽しんでいるという構図の作品だった。「役割を演じる」と言うと重苦しさもあり、自分自身を抑え込んでいるようなイメージもある。ただゆゆ式の三人はそうではなかった。ゆずこはボケの為にわざわざ小道具を用意するし、唯はツッコミの際の言葉のチョイスをで真剣に悩む。尋常ではない気合の入りようである。それは他の二人を笑わせたい、他の二人が好きだからであり、つまり彼女たちにとって役割を演じることは関係性を維持するための自己抑圧でなく愛情に満ちた自己表現だったのだ。そして、ゆずこと唯の漫才を屈託なく笑う縁は二人のことが好きで好きでたまらない最高の観客だった。つまりゆゆ式は、自分の役割についつい疲れてしまう世の中で、役割を演じることで得られる幸福を描いたスーパー作品なのだ。そして「ゆゆ式のようにジョイナスレももっと掛け合いのうえでの役割を意識しよう!」と思ったわけである。

しかしながら好き好き光線が飛び交っているゆゆ式と違い、ジョイナスレは否定の応酬である。高木だけをとってみても、まずスレタイを否定し、小田を理不尽に拒絶し、荒木からの批判を「黙れ素人が!」と一蹴。浅尾は田島に露出を強要する高木を否定して自分が露出する。荒木は高木を否定し、落合を持ち上げる。持ち上げられた落合を、坂井が否定。そして最後に「なんてことだ…なんてことだ…」という困惑を通じて、吉見がジョイナスレの世界観をやんわりと否定する。このように相手を否定することで彼らは関係性を築いていたとも言える。どっかのマザーも言ってたが、「好きの反対は無関心」。否定することは相手に対する関心の裏返しである。
とは言っても「否定」だらけの内容では単調である。だからこそ、こうした否定だらけの流れの中で、高木の疑問に答え、間違いを訂正してくれる福谷がクッションとなっていた。
「すきすき」どころか「いがみ合い」だったジョイナスレだったが、いがみ合いもテンプレ化すれば茶番となり、微笑ましい日常になる。喩えて言えば、プロレスのマイクパフォーマンスにおける挑発のように。第三者がお約束として受け入れられたなら、否定の応酬はエンターテイメントになるのだ。だからこそ、自分はあまりキャラの順番を入れ替えなかったし、イレギュラーなこともさせなかった。順番を固定してキャラの役割を徹底し、役割を強調することで茶番っぽさを強調したかったのである。たまに「順番がいつも固定されている」とか「本家(初代)はもっと自由だった」という指摘が見受けられたが、初期は試行錯誤してたから自由な方向性に見えただけで、自分にとっては本意だったのはテンプレでガチガチに固めたスタイルだったということをここで強調しておきたい。マンネリズム=ワンパターンと否定的に捉える人たちもいる。それは個人の好みだからしょうがない。ただ自分はテンプレをしつこく提示し、「変わらない何か」を見せつけることで実家に帰ったような安心感ジョイナスレという茶番を通じて醸し出したかった。「ああ、また高木が小田を無慈悲に切り捨ててるぞ」「今日も坂井が落合をdisってるなあ」と思っていただきたかったし、そういうものに対する需要があるからこそ、この社会ではダチョウ倶楽部のような芸人が長く活躍できると認識している。読む人の予想を裏切って小田を高木に褒めさせたりしてもよかったかもしれないが、そういう変化球は極力投げない方向性だった。毎回時事ネタや薀蓄を変えつつも、結局は否定とちんぽの応酬に行き着くのがおちんぽジョイナスであり、それはゆずこがボケて唯がツッコみ、縁が笑うというルーティンを示し続けたゆゆ式と通じていたのではないか、と。そう自分は勝手に思っているわけだ。むしろ「俺は三上小又チルドレンだ」と大々的に宣言してもいいくらいだ。

余談だが、実は福谷に「リボーの法則」「メロリン/ドンドゥルマ」についての薀蓄を言わせたジョイナスレも立てたことがある。気になったらログを探してみよう!

おちんぽジョイナスから4年が経ち、アニメ「ゆゆ式」からも3年が経過した。高木が辞めてからもちょくちょくスレを立てていたが、イ○ラム国関連の時事ネタで立てようと内容を考えていたら何も思いつかず、それ以来まったく立てていない。立てる気力がなくなってしまった。おちんぽだけに。
そして自分は「リボー」と聞いたら記憶にまつわるアレではなく、ブライアンズタイムとかデインヒルの母系に入ってる方を想像してしまうようになった。
歳月というのは残酷なまでに人を変えてしまう。ただ、それでも高木守道ゆゆ式の存在を忘れることはないだろう。高木守道を忘れるな。
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