ジョイナス最後の戦い

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細江純子とアニメ・ウマ娘プリティーダービー

我らが細江純子、『ウマ娘プリティーダービー』で衝撃の声優デビュー

  3月の暮れ、我々に深い衝撃を与えた「細江純子、声優デビュー」の一報。

 それからほぼ一か月が経過しようとしている。声優たちの中に全くの素人が混じるわけだから、さすがにはじめのうちは違和感を覚えた。

 細江純子は間違いなく演技はできないが、しゃべりがおかしい人間では決してない。純子は長岡一也さん(競馬実況でおなじみのフリーアナウンサー)に話し方をレクチャーされていてるので、むしろ上手い部類の人である*1。大げさな言い方をすれば、純子はアナウンス技術を齧った競馬解説者といってもいい。だから純子がアニメで喋っているのは、ある意味局アナが自局のドラマにカメオ出演しているようなもの…そんなことを考えながらウマ娘を見続けていくうちに、純子が声優をしている状況に自分はすっかり慣れてしまった。

 そもそもの話をすれば、細江純子の演技よりもアサヒ芸能で連載している細江純子のコラムの方が数百倍酷い*2。演技程度でいちいちガタガタ言っていたら身が持たない。

我らが細江純子 対『ウマ娘』の細江純子

 ここからが本題。

 『ウマ娘』には作中に細江純子本人が登場する。声優・細江純子細江純子本人の役を演じているのだ。

 「本人役で本人が出演」は、競馬界では実は既に武豊騎手が通った道である。武豊騎手は『ごくせん』や『科捜研の女』にも本人役で出演している。数年前には『G1 DREAM』という競馬をテーマにした単発ドラマがあり、武豊騎手だけでなく、池添謙一騎手、福永祐一騎手、岩田康誠騎手、松田大作騎手(!?)が本人役で出演している。 

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 『ごくせん』や『科捜研の女』に出演する武豊騎手はおそらく私たちの知っている武豊騎手である。しかしながら『ウマ娘』の場合は話が違ってくる。ウマ娘』の細江純子は、私たちの知っている細江純子ではない。

 『ごくせん』の武豊騎手もフィクションに属しているという点では、「私たちの知っている武豊騎手」と厳密にはみなせないのかもしれない。ただ、「私たちの知っているあの武豊騎手」とみなしても何ら問題がない。『ごくせん』の世界にもJRAは存在し、ディープインパクトクロフネの主戦として現実同様に武騎手が数々のG1を勝っていると解釈しても、そこには何ら不都合がないし、それを妨げる要素は存在しない。

 一方『ウマ娘』の細江純子を「私たちの知っている細江純子」とみなすことには大いに問題がある。それは『ウマ娘』の世界には設定上騎手が存在しないからだ。よって『ウマ娘』の純子は、私たちの世界に存在する「JRA史上初の女性騎手」だった純子とは決定的に違う。

 現実の細江純子は「JRA史上初の女性騎手」だった細江純子であり、『ウマ娘』の細江純子は「JRA史上初の女性騎手」になれなかったifの細江純子である。ifの純子は現実とは異なるifの道を歩んできた。それにもかかわらず、ifの純子も現実同様に競馬解説者というキャリアに帰結している。ここに『ウマ娘』という作品が孕む強烈なテーゼが浮き彫りになる。即ち「if 対 運命」である。

if 対 運命

 『ウマ娘』ではif(史実にはない展開)が描かれる。

 作中ではエルコンドルパサーがダービーに挑戦するというifが描かれる。(現実の)エルコンドルパサーの現役当時は、外国産馬はダービーに挑戦できないというルールがあった。ウマ娘のifはこのルールをぶち破り、当時の外国産馬の運命に挑もうとする(どういう結果になるかは今現時点(4/22)では分からない)。

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 OPでは更に象徴的なifが描かれる。サイレンススズカが98年の天皇賞・秋*3と思われるレースで、4コーナーを曲がり切り先頭でゴールへと向かう、というifである。その後にサイレンススズカスペシャルウィークが並んで走る場面まで含めて、筆舌に尽くしがたいものがある。

 人間はたらればが好きである。私もたらればは好きだ。とはいえ、ifも過ぎれば暴挙であると言わざるをえない。極端な話をいえば、ダービー馬になれないスペシャルウィークはもはやスペシャルウィークではないし、当時のルールに泣いてこそのエルコンドルパサーだといえる。それは「JRA史上初の女性騎手」でない細江純子が、私たちの知る細江純子でないことと同じことである。

 そもそも、スペシャルウィークたちが美少女の姿でいること自体がとてつもないifである。ウマ娘のifははじめから暴走している。ifの暴走を看過すれば、彼女たちはただ競走馬の名前を名乗るだけの存在でしかない。それゆえにifのルートを選択したとしても、必ず一つの結果に収束するようにしなければならない。ウマ娘たちに逃げ切れない運命を課すことで、同一性を確保しなければ彼女たちの名前はただの飾りにすぎない。『ウマ娘』はifの暴挙と運命の収束性の戦いである。逃げ切ろうとするifの後方から、運命が押し寄せてくる。こうした緊張感の上に『ウマ娘』は成り立っている。

 またそれは、たらればを求める私たちと運命・予定調和を求める私たちとの対立であるともいえる。サイレンススズカにあのまま勝ってほしかった私たちと、運命を受け入れようとする私たちの戦いでもあるのだ。

 このアニメにおいて運命への収束を求めることは、とある残酷な要請をすることに他ならない。それゆえ、正直なところ、私はこのアニメを見ていて胸の内に息苦しさを感じずにはいられない。

 『ウマ娘』の細江純子は、さしずめifの墓標である。『ウマ娘』の純子はウマ娘に先立って、運命に収束してしまったifである。「JRA史上初の女性騎手」でないifの細江純子細江純子であるためには、このような運命の収束性に身を委ねるしかない。「ifと運命の対立」を示唆することが作中における純子のレーゾンデートルである*4。純子の存在は話題性の付与以上の深みを『ウマ娘』に与えている…ナンチッテ。

*1:私の競馬はちょっと新しい
第5回 ホースコラボレーター 細江純子さん」参照

*2:ウマ娘には純子の乳首の話はありません

*3:サイレンススズカの後方を走るウマ娘は勝負服から察するに98秋天の本当の覇者オフサイドトラップだろう

*4:これが言いたかった