ジョイナス最後の戦い

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細江純子とわたし・2018

顔写真

 スーパーマーケットの陳列された青果や畜産物の包装に生産者の顔がラベリングされていることがある。自分の顔を世間に晒すくらい生産物に自信があるのだろう、と消費者に思わせて購入意欲を刺激させるマーケティングの一環である。

 アサヒ芸能本誌連載中のコラム「ホソジュンのアソコだけの話」にも、筆者である細江純子本人の顔写真が文章と共に掲載されている。

 「アサ芸風俗」掲載版のホソジュンコラムには純子のご尊顔はないので、ホソジュンコラムのweb撤退を機にはじめてアサ芸本誌を手に取った読者は面食らってしまうだろう。細江純子は逃げも隠れもしない。下品で自らを卑下する文章の内容とは裏腹に、写真の彼女の顔は堂々としている。直視してほしい。そのためにアサ芸を手に取ってほしい。

 アサ芸は表紙からして下品だが*1、「快楽天」を手に取るよりはマシだろう。そう思いながら私は自分の生活圏からできるだけ離れたコンビニで毎週立ち読みしている。

検索

 シモネタがホソジュンコラムの主役とすれば、影の主役は自虐である。ホソジュンコラムは自身の過去や現状を嘆く内容が多く、とりわけ容姿への自虐が多い。

 そんな本人の自己評価とは裏腹に「ずんこかわいい」「細江さん抱ける」といった書き込みがネットでは時折見受けられる。しかしながらネットの書き込みほど信用できないものはない。人間という生き物は、注目を浴びるためなら平気で嘘をついたり誇張をするからだ。テキストが「ありのまま」を伝えているという保証はないのである。

 人間の100%確かな「ありのまま」はインターネットにはないのだろうか。そうではない、と私は考える。人には嘘偽りなく自己をインターネットにさらけ出す瞬間がある。それは「検索」をするときだ。求めるものを「検索」する私たちの姿は「ありのまま」である。何人たりとも私たちの「検索」を歪めることはできない。

 その「検索」だが、解析ツールを使うとどのような単語を検索してwebページにアクセスしてきたかが分かる。当ブログの場合は「細江純子」と「グラスリップ」が多い。

 そして中には「細江純子 熟女」「細江純子 エロ画像」といった検索内容も定期的に含まれている。これはどういうことだろうか。彼らが「細江純子のエロ画像を検索しろ」という脅迫を受けているのでなければ、こう考えるしかない。細江純子を性的な目線で見る人が世の中には存在している。

*1:今週号は「衝撃告白「尻毛マニア」巨乳女優の変態「性」活」という見出しが大々的に掲げられていた