ジョイナス最後の戦い

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【アニメ化発表記念】百合で生きる──「裏世界ピクニック」

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アニメ化が発表されたので急いで書きました。

ネタバレに配慮せずに書いたので、その点だけはご留意ください。

はじめに

本作は2人の女子大生・紙越かみこし空魚そらを仁科にしな鳥子とりこが、「裏世界」というネットロアの怪異が出現する異空間に出向きサバイバルをするという内容である。本作をカテコライズをするとサバイバルホラーSFということになるだろうが、サバイバルを通じて女主人公二人の関係性を描いていることから、「百合」として捉えることもできるだろう。

とはいえ本作は、ただ「百合」とサバイバルホラーを組合わせただけの作品ではない。2人の少女が「百合」でサバイブする生き抜く様を描いた一大作品である。そういう視点で本作を語っていきたい。

 百合とサバイバル

「裏世界ピクニック」の魅力は、紙越空魚と仁科鳥子の「百合」と表現せざるをいないような濃厚な共依存関係である。「関係性萌え」が好きな人は、2人の関係の進展を見るだけでも楽しめてしまうのではないだろうか。

かくいう私も「関係性萌え」の人間である。サバイバルホラー展開よりも、空魚と鳥子の関係性に目がいってしまう。しかしながら「裏世界ピクニック」のサバイバルホラー要素が、「百合」のオマケだというつもりはない。むしろ本作における「百合」とサバイバルは不可分な関係にある。

本作の舞台である「裏世界」は人間の心身に異常を及ぼす危険な異空間である。主人公の空魚と鳥子は「裏世界」の影響により、部分的に身体が変異している。もっとも彼女たちの症状は比較的軽微で、「裏世界」から戻ってきても日常を送ることができている*1

一方で、本作には「裏世界」で命を落としたり、失踪してしまったり、あるいは異形と化してしまった者の姿も描かれる。彼ら全員のバックグラウンドが描かれているわけではないが、描かれている限りでは「裏世界」における犠牲者には精神的に追い詰められてしまった者、あるいは最初からおかしかった者が多い。

多くの人々が「裏世界」の狂気に染まっていく中で、「裏世界」に身を置きながらも正気を保ち続けることのできた人物もいる。「ステーション・フェブラリー」編にて登場したドレイク中尉とバルカー少佐である。2人は相当に成熟した人物で、疑心暗鬼に陥った米兵たちに空魚と鳥子が敵視される中、ドレイク中尉は2人に終始友好的に接した。バルカー少佐も隊の暫定的な責任者として「文明的であろう」*2と努め、2人を受け入れた。その結果、両軍人は「きさらぎ駅米軍救出作戦」編にて、空魚と鳥子の助力のもと生存する米兵たちと共に「裏世界」からの生還を無事果たす。彼らの帰還に私たちは本作品における条理を見出すことができる。「裏世界」で正気を保つことは、他者を受け入れるようと努めることに相関する。言い換えれば他者との「関係性」が「裏世界」の狂気への対抗手段となっているのだ。

ところが主人公の空魚と鳥子は、ドレイク中尉やバルカー少佐のように成熟した大人ではない。2人とも人付き合いが得意でなく、子供っぽいところがある。とりわけ空魚は問題児で、読者は度々彼女の認知の異様さに驚かされることになる。

お互いに危うい空魚と鳥子ではあるが、彼女たちは気が合い、共依存的な関係を形成している。「関係性」への執着は中尉たちよりむしろ強い。パートナーが「裏世界」で狂いかけているものなら、もう一方は引っ叩いたり、キスをしてでも正気に戻そうとする。「百合」が「裏世界」を生き抜く上で理想的な互助性を付与しているのである。

少女と異世界の「百合」は成立するか?──「女」と化した「裏世界」

さて、本作の主人公・紙越空魚は、傍から見れば既に正気を失っているようなキャラである。彼女は「裏世界」で何度も死にかけているにもかかわらず、「裏世界」探索を止めようとは思わない。彼女の向こう見ずな姿勢は、彼女たちのパトロン兼保護者(?)的存在の小桜こざくらから作中で度々非難される。

ただ、空魚の行動原理は至ってシンプルである。

私は怖い体験がしたいわけではないのだ。

ここではないどこか、未知の世界に行きたい。そのためなら、多少の恐怖くらいに負けてはいられない。それだけだ。

──3巻「サンヌキさんとカラテカさん」、p142

「裏世界」は空魚にとってのユートピアである。理想郷のためなら、死の危険すら厭わない。こうしたシンプルだが、とても重い感情を彼女は「裏世界」に抱いている。

こうした空魚と「裏世界」の関係性を、「百合」として捉えられないだろうか。

「正気か?」と思われた方もいるかもしれない。至極もっともな感想だろう。とはいえ私にも私の言い分がある。まずは「百合」の可能性について原作者の宮澤伊織氏が興味深い言及をしていたので引用したい。

——2018年以降の、百合の可能性についても伺いたいと思います。こうした激戦区のなか、今後はどんな百合、百合SFがありうると思いますか。

宮澤 わかりやすいところだと、異種族間の百合ですね。最近読んだノンフィクションで『愛しのオクトパス』(亜紀書房)という本があって、これはタコについての話なんですが、冒頭から書き手の54歳の女性と2歳のメスのミズタコの異種間&歳の差百合としかいいようがない描写が出てくる。

——54歳の女性と2歳のメスのミズタコの異種間&歳の差百合。

宮澤 書き手が水槽に手を入れると、ミズダコが寄ってくる。そこに著者のモノローグが被さるんですけど、タコは吸盤で味を調べることができて、人間と同様に女性ホルモンのエストロゲンがあるので「このミズダコは私を女だとわかったはずだ」と。そして「彼女の抱擁は今までに人間相手では経験したことのない感触だった」とか、激重の感情が語られるんですよ。

百合が俺を人間にしてくれた――宮澤伊織インタビュー

異種間の接触に関する記述にさえも、「訓練をすれば百合を感じられる」と氏は主張する。こういう感性の持ち主の書いた作品だから、超拡大解釈した百合概念を当てはめて解しても別にいいだろう──で済ませるのはさすがに不誠実なので、もう少し言葉を尽くそうと思う。

上述の54歳の女性と2歳のメスのミズタコの接触を、どのように「百合」として捉えられるか考えてみたい。まず54歳の女性(書き手)は、「私を女だとわかったはずだ」とミズダコの感情を慮っている。ここが一番のポイントだ。「ミズダコが女性(私)に感情を向けている」と措定することで、「女性とミズダコが相互に感情に向けっている」という可能性が生じる。『愛しのオクトパス』の書き手が自分に対する意思を相手から感じている以上、情を交えた関係性が成立しているのだ*3。そうなれば、言語や種族の差は意味をもたない。すなわち「「女」と「女」がお互いに感情を向け合う余地」が生じたときに「百合」が成立するのである。

「「女」と「女」がお互いに感情を向け合う余地」を百合の要件とするならば、紙越空魚と「裏世界」の関係を「百合」と解するうえで、私たちは2つの課題をクリアする必要がある。1つは「裏世界」を(空魚に)感情を向ける存在として措定すること。もう1つは「裏世界」を「女」として対象化することである。

1つ目の課題に関しては、空魚自身が答えを出している。彼女は「裏世界」には意思があり、自分や鳥子の存在を識別したうえで彼女たちにコンタクトをとってきていると考えている*4。もはや空魚と「裏世界」の関係は『愛しのオクトパス』の書き手とミズダコの関係と変わらない。空魚が「裏世界」に自らに対する意志を措定した時点で、互いに感情を向け合う余地が生まれている。

2つ目の課題に関しても、結論からいえばイエスである。本作品は「裏世界」を「女」として対象化するという課題を、閏間うるま冴月さつき、そして死別した紙越空魚の母という2人の「女」を通してクリアする。

鳥子の元パートナー閏間冴月は、あらゆる人間を魅了する「アルファ・フィメール*5」である。鳥子と小桜は彼女に魅了され、行方不明になった今でも彼女への執着に捉われ続けている。また、鳥子の現パートナーである空魚にしてみれば、冴月は嫉妬の対象である。いわば閏間冴月とは作中のあらゆる「女」たちから強い感情を向けられた「女」なのである。

紙越空魚の母は、鳥子と出会う前の空魚が唯一心を許していた「女」である。彼女との思い出が、カルト教団に追い回される生活を余儀なくされた空魚の心の支えとなっていた。彼女もまた強い感情を向けられた「女」である。

「裏世界」は、2人の「女」の存在を利用し、空魚と鳥子に接近してくる。空魚と鳥子は閏間冴月の姿をした存在に「裏世界」の深部に引きずりこまれそうになり、空魚は「赤い人」という化け物に認知を弄られて、母親の面影を重ねることとなる。「裏世界」に意思があると措定するなら、彼らは強い感情を向けられる「女」の立場を援用することで、空魚たちを揺さぶろうとしている。よって「裏世界」を「女」として捉えることは「裏世界」自体の意図にあった行為であるといえるだろう。それゆえ「裏世界」を「女」と捉えても何ら問題はない。

2つの課題はクリアされた。これで「紙越空魚と「裏世界」の関係は「百合」である」と胸を張って言えるだろう。

命懸けの三角関係

紙越空魚と「裏世界」の関係は「百合」である。となれば、「裏世界」は空魚たちにどのような感情を向けているのだろう。

「かれらはあまりに異質で、あまりに理解不能だから、私たちが接触するチャンネルは恐怖という情動しかないの。恐怖がコンタクトの手段で、目的なの。空魚、わたし、分かっちゃった──」

──1巻「時間、空間、おっさん」p303

これは「裏世界」の深淵に取り込まれかけた鳥子の発言である。「恐怖がコンタクトの手段で、目的」だとすれば、彼らが向けているものは人間の感情に落とし込めば「悪意」としか言いようがない。つまり空魚は「裏世界」から悪意を向けられているにもかかわらず、「裏世界」にユートピアを求め続けている。これは「百合」と表現しても可笑しくないくらい凄まじい感情の交差である。

今さら言うまでもないが、紙越空魚と「裏世界」の「百合」は激しく危険なものである。作中の表現に倣うなら「デス百合」と呼んでも過言ではない。空魚1人では狂気に飲み込まれ、いつか破滅してしまうだろう。

そんなデス百合関係に挟まり込んでくるのが仁科鳥子である。鳥子は「「裏世界」に行きたい」という空魚の破滅的な願望をこの世で唯一受け止められる存在だ。また、人との付き合い方が不器用すぎる鳥子を対等なパートナーとして受け入れられるのもおそらく空魚だけである*6。運命の相手に出会えた2人が共依存的な関係になるのは必然的である。そして、共依存関係を維持する上で、一番重要なのはお互いの生存である。狂気と悪意の「裏世界」を2人で生き抜くことが、空魚と鳥子の共依存関係の最優先課題。空魚と鳥子の「百合」はいわば「生存の百合」なのである。

「裏世界ピクニック」が描き出しているのは壮絶な三角関係──紙越空魚と仁科鳥子と「裏世界」が織りなすトライアングル百合サバイバルである。破滅的なサガを背負った少女が、「デス百合」と「生存の百合」がぶつかり合う歪な三角形の上で、弾丸と硝煙に祝福されながら承認の喜びを知る。そんな夢と希望に溢れた物語が「裏世界ピクニック」なのだ。

もちろん、「裏世界ピクニック」は3点だけの作品ではない。毒舌合法ロリで寂しがり屋の小桜をはじめ、百合後輩ペアの瀬戸せと茜理あかり市川いちかわ夏妃なつみ、狂信的配信者の潤巳うるみるなといった個性的面々が登場する。彼女たちが空魚と鳥子の間に挟まって、百合の多面体を描き出す日もきっと遠くない(?)だろう。

今は新刊、そしてアニメの放映をただ待つばかりである。

*1:問題がないとは言っていない

*2:1巻173p

*3:客観的にみたら彼女の考えは的外れかもしれない。しかし受け手には客観的な立場を支持する義務も必要性は特にない。54歳の女性(書き手)の気持ちを尊重しても構わないのである

*4:4巻p206等。ただし、小桜は「相手に意思があるかどうかは保留した方がいい」と空魚に指摘する

*5:1巻p255

*6:とはいってもこの唯一無二性は暫定的なものでしかないんだけどね。