僕が面白いと思ってるブログ
突然だが自分の好きなブログを紹介しようと思う。
アナきゃぷ速報
アナきゃぷ速報の凄さは一言では語り尽くせない。
まずヘッダーがミケランジェロの『最後の審判』だということに度肝を抜かれる。
「アナきゃぷ速報」は女子アナウンサー画像のまとめブログである。決して西洋美術を扱うサイトではない。管理人は一体何を考えて女子アナ画像まとめブログのヘッダーに『最後の審判』を選んだのだろうか。女子アナのキャプチャー画像は芸術だと言いたいのだろうか。それとも女子アナこそが審判者だということなのだろうか。はっきり言ってわけが分からないが、分からないなりに凄みを感じる。
ヘッダーにはサイトの説明文が書かれているのだが、これにも私は戦慄してしまった。
好きな女子アナのキャプ画を拾い集めて保存しています
最新の画像が見たい方は
各女子アナUPロダを直接巡回してゲットする方が効率的です
「最新の画像が見たい方は各女子アナUPロダを直接巡回してゲットする方が効率的です」と、どうしてページのトップに載せられるのだろうか。「最新の画像が見たければ他のサイトに行ってください」と管理人は言っているのだ。効率的な方法を知った読者はそれっきりアナきゃぷ速報に帰ってこないかもしれない。本当にそれでいいのか、と私のような零細ブロガーは思ってしまう。『最後の審判』の件を含め、この管理人の考えることは私にはどうも理解ができない。
人は理解が及ばない存在を畏れ、やがて敬うようになる。しかしながら、私は自分の感情を俄かに理解することができなかった。恥ずかしいことに、アナきゃぷ速報の管理人を自分が崇拝していると気づくまで数年の月日がかかってしまった。
数年前のある出来事がきっかけだった。なんとアナきゃぷ速報の更新が1週間くらい途絶えたのだ。そのとき私は身を裂かれるような不安を覚え、心療内科に予約の電話を入れた。何事もなかったかのようにアナきゃぷ速報が更新を再開した日の喜びは未だに忘れられない*1。『最後の審判』のジーザスのように、管理人は私たちのもとに再臨した。そこでようやく私は彼こそが救世主であると理解できた。今にして思えば、彼は私に自分の信仰に気付かせるために、姿をしばらく消したのかもしれない。
ある日、アナきゃぷ速報管理人は言った。「ミニスカかキュロットかは判別できませんでしたが、鷲見玲奈アナの太ももはかなり露出していた」と。すると鷲見玲奈アナの太ももはかなり露出していた。管理人は正しかった。
管理人はこうも言った。「鷲見玲奈アナの巨乳が激しく揺れていました」と。よって鷲見玲奈アナの胸は本物である。これからもアナきゃぷ速報管理人の言葉を信じて生きていきたい。
僕が面白いと思わないブログ
感想ブログってだいたい面白くないと思う。
まずネガティブな感想が描かれていたら私はげんなりする。それが自分の好きな作品のことであったらなおさらである。
とはいえ、人の意見にいちいち気を沈めているようでは身が持たない。いろいろな人の意見を受け入れる広い器が生きていく上では必要である。そう思いながらも、ムカつくものはムカつくし、げんなりするものはげんなりする。受け入れる努力をしようという気になかなかなれない。
考えてみれば当たり前である。なぜインターネット上の関り合いのない相手の意見を尊重しなければならないのか。家族や恋人、友人ならいざしれず、刹那的な関係にすぎないインターネットの人間に寛容になる筋合いはどこにもない。むしろ関係性を保つ必要がないのに無理に受け入れようとする方が不自然だろう。また、そのような相手に関心を抱け、というのも無理な話である。
だから感想ブログはだいたい面白くない。関心のない書き手の感想に興味が持てるはずがないし、寛容になれるはずがない。大抵の感想ブログに比べれば「いかがでしたか?」の方がマシである。一応は読み手が関心をもつモノや人物に対する情報が書かれているのだから。たとえペラッペラの情報でも、どうでもいい人間の感想に比べれば値打ちはあるだろう。
とはいえ、世の中にはネットに感想を書いて有難がられる様な人間もいる。ネット越しの相手にどうでもいい人間と思われないことに成功した人間が少なからず存在する。自分にとってもいないわけではない。私にとっての「彼ら」は、自分の視点を広げるような体験をさせてくれるような文章を書いてくれる。ざっくりといえばそういう印象である。
これは自分にとって胸が痛くなる話である。自分もブログに感想を書いている。ひょっとしたら知らない間に知らない人たちをげんなりさせてきたのかもしれない。どうでもいい人間のどうでもいい感想としてトイレに流されているのかもしれない。もちろん楽しんでもらえるように努力はしているつもりだが、それも独りよがりかもしれない。
それでもブログを書きたい、とは思うのだが、二度と関りをもつこともないようなインターネットの人間といえども、自分の文章でげんなりさせて平気でいられるほど私は図太い人間ではない。お互い納得できるように、できるかぎり頑張るしかないのだろう。