ジョイナスのカラオケBOX

アサヒ芸能で連載中の「ホソジュンのアソコだけの話」の書籍化、ドラマ化、もしくはアニメ化を願うだけのブログです。

このラブコメディは正常か───「虚構推理」感想

今期のアニメは「虚構推理」だけを見ていた。

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アニメでは岩永琴子の"口"が印象的だった。彼女の"口"が、ときに愛くるしく、ときには妖しく描かれるのが面白かった。

タイトルでは「推理」と謳われているが、この作品における「推理」は一般的なミステリーとはかけ離れている。

本作の探偵・岩永いわなが琴子ことこは真実を語らない。その代わり、虚構をあたかも「推理」して導かれた真実のように語る。彼女の「推理」は作り話にリアリティをもたせるための演出であり、決して真実を解き明かす手段ではない。

真実が軽薄な世界で

アニメは原作の「鋼人七瀬」編のエピソードを中心に構成されている。

琴子はアイドル・七瀬かりんの亡霊「鋼人七瀬」の存在を信じる「鋼人七瀬まとめサイト」のユーザーたちに対し、亡霊の存在を否定する「推理」を提示し、推論を通して彼らが七瀬かりんの死の真相を推理するように誘導した。結果ネットユーザーたちは亡霊の存在よりも事件の推理を面白がるようになり、やがて琴子の思惑通りに彼らは亡霊の不存在を支持するようになる。

物語の礎となっているのは甚だしい真実の軽視だ。虚構にすぎなかった「鋼人七瀬」が人々の想像力によって真実となり、別の虚構を信じる力によってその実在は否定される。原作の発表はもう10年ほど前になるが、この作品が孕む皮肉アイロニーの鮮度は未だに落ちていない。ポスト・トゥルース──真実や客観的な事実が軽視される時代を『虚構推理』は嘲笑し続けている。

しかしである。現実に対して批評的だから素晴らしいと私は言うつもりはない。批評はときに告発である。告発する側はさぞかし爽快だろう。一方、告発される側は苦い思いを強いられる。批評が目的なら、快く受け入れられないのもやむを得ないかもしれない。しかし娯楽が目的ならば、これは諸刃の剣だ。斬りつけられることを望む奇特な受け手はまずいないだろう。逆に受け手が斬りつける側に立てるのならば、これほど愉快なことはない。私とて斬られ役はご免である。長七郎や桃太郎侍のようにバッサリ斬る側に回りたい。

ところがこの作品は私を斬りつけてしまった。私の痛い部分に刃を遠慮なく向けてきたのである。

私は「鋼人七瀬まとめサイト」の匿名の人々を他人とは思えなかった。また、彼らを探偵に花を持たせるために生み出されたご都合主義的なスケープゴートと思うこともできなかった。探偵・岩永琴子と黒幕・桜川さくらがわ六花りっかの手のひらの上で踊らされ、そうとも知らずに探偵ごっこに興じた人々は、私のよく知る流されやすいインターネットの人たちと重なった。彼らは自分は理知的で芯があると思い込んでいる私の姿でもあった。「こんな屁理屈に流されるわけがない」と思う自分もいたが、それは願望にすぎないのだろう。

考えさせられる内容ではあったことは間違いない。ただ、内省的な気分になったせいで作品を楽しみきれなかった。「楽しい/楽しくない」が物語の全てではないと思うが、エンターテインメントという観点ではこの作品の批評性はマイナスだったという他にない。バッサリと斬りつけられたのはきっと私だけではないだろう。

異常な少女のラブコメディ

しかしながら惹きつけられるものも確かにある作品だった。その最大の要因はヒロイン・岩永琴子の恋愛脳にある。

琴子は傍から見れば理解しがたい存在だ。彼女は妖怪たちに片目・片足を奪われたにもかかわらず「知恵の神」として妖怪たちに尽くしている。私からしてみれば彼女の境遇は不条理としかいいようがないが、彼女にしてみれば身体の欠損は一眼一足の「知恵の神」になるうえで必然の過程であり、決して不条理ではない。彼女は人間でありながらあやかしの理の下で生きているのである。

一方、黒幕・桜川六花は琴子とは対照的だ。彼女は望まず不老不死の身体になり元の肉体に戻ろうしている。琴子とは違い自分の身に降りかかった不条理*1を明確に拒絶しているのだ。個人的には琴子よりも六花の方に共感を覚える。六花は世の秩序を乱す悪女ではあるが、自分の欲望のために生きているという点では私たちと変わりがない。不条理を受け入れられない姿にも人間臭さを感じる。ぶっちゃけ見た目だけで言えば琴子より六花の方が好みである*2

六花と比べると琴子はあまりにも超然としすぎている。妖怪に出会ったら弓原ゆみはら紗季さきのように恐れるのが普通なのに、彼らに片目・片足を奪われてもなお平然としていられるのは異常である。そのうえ「知恵の神」として妖怪に尽くすのだがら、滅私奉公にも程がある。

岩永琴子は世の秩序のために一眼・一足の「知恵の神」となった。世界のために身体を捧げた彼女は人身御供というべき存在なのかもしれない。しかしながら琴子から生贄としての哀れさは感じられない。彼女は「知恵の神」であると同時に桜川九郎くろうに恋する乙女であり、非常事態でも平気で恋にかまけるおめでたい少女なのだ。「鋼人七瀬」が狂暴化していく中で、琴子は九郎の元彼女・紗季に嫉妬したり、現彼女として紗季にマウンティングをとるなど品のない色ボケした言動を随所に見せる。「鋼人七瀬」が世の秩序を乱している最中にもかかわらずラブコメを繰り広げる琴子の姿は呆れるほどに滑稽で悲劇のかけらも感じさせない。

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人生をエンジョイしてるおひいさまかわいい。

岩永琴子はおかしいことだらけだ。琴子が片目・片足を奪われて平然としていられることも、人間でありながら「知恵の神」として振舞っていることも、そして虚構で事件を解決してしまうのも、私たちの感覚でいえば明らかにおかしい。ところが恋愛だけはおかしくない。どこからどう見てもおかしな少女が私たちのように恋している*3。ここに私は可笑しみを覚える。何もかもがおかしい琴子が正常にラブコメを成立させていることが、本作品の最大の魅力だと私は思う。ミステリとしては邪道すぎて楽しみきれなかったが*4、狂ったことだらけの状況で琴子が恋をしている姿を見るのはとても楽しかった。

正常な恋の行く末に

恋愛は決して人間だけの特権ではない。世界各国の神話を読み解けば、神々すら色欲に囚われることが分かるだろう。とはいえ神々の恋愛と私たちの恋愛は非なるものである。スパルタ王の妻に惚れたゼウスは白鳥になり、イザナミイザナギとの近親相姦の末に日本列島を誕生させた。愛の形は人それぞれというが、ここまで不条理な愛の形は人間にはないだろう。

私たちのように恋をしているという点では、岩永琴子の恋愛は正常だ。ただ、彼女も恋人の九郎も人の理から既に外れてしまった存在。彼女たちの恋愛も不条理性を帯びる可能性はある。そうなれば、恋愛すらも世界に捧げなくてはいけない日が来るかもしれない。彼女の恋愛が神話化すれば、六花が世界を滅し、琴子が新しい世界の母となるような結末が描かれてもおかしくはない。

12話で桜川九郎は琴子を日本神話の女神イワナガヒメになぞらえる。イワナガヒメはブサイクな女神なので、当然琴子はむくれてしまうが、九郎は「お前は花のように美しい」という。ひょっとしたら彼は「お前は女神ではない」と言いたかったのかもしれない。岩永琴子はただの少女である、と。

事実、琴子は九郎や六花のような特別な能力があるわけではない。「知恵の神」の役割を担っているだけのただの人間である。九郎は琴子は「幸せになるべき人間だ」と思っている。いったい彼らの幸福はどこに存在するのだろうか。

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こういう寂しい結末があるのかもしれない。

人間の道理と神話や怪異の不条理が混在する世界で、人であって人ではない2人はこの先どうなっていくだろうか。人として愛し合っていけるだろうか。率直に言えばアニメには消化不良な印象を抱いたが、この物語の結末には強く興味を惹かれる。原作は未読だが、これを機に手を出して見ようと思う。

*1:カミュ的には「不死」って不条理になるんだろうか、とは思うけれど。

*2:目つきの悪さが艶っぽくていい。幾花にいろの描く女性みたいだ。九郎が彼女への初恋を引きずってしまうのも分かる

*3:琴子のアプローチは年頃の少女とは思えないくらい下品だが、人間の範囲内にはかろうじて収まっているだろう‥‥たぶん

*4:本作のような変化球よりは、真相を明かすカタルシスがあったほうが自分は楽しめると感じた。