ジョイナス最後の戦い

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【感想】裏世界ピクニック5巻 八尺様リバイバル

 

マヨイガに2人きり

カルト少女の再登場や謎の少女の登場など、いろいろと新展開を伺わせる巻ではあったが、個人的に一番興味を引いたエピソードは「マヨイガに2人きり」だった。

マヨイガに2人きり」は裏世界でマヨイガを見つけた空魚と鳥子が、マヨイガに住む老婦人・外舘と猟犬のハナに出会うという内容。外舘とハナ*1の姿に、下記のインタビューを連想したのはきっと私だけではないだろう。

——2018年以降の、百合の可能性についても伺いたいと思います。こうした激戦区のなか、今後はどんな百合、百合SFがありうると思いますか。

宮澤 わかりやすいところだと、異種族間の百合ですね。最近読んだノンフィクションで『愛しのオクトパス』(亜紀書房)という本があって、これはタコについての話なんですが、冒頭から書き手の54歳の女性と2歳のメスのミズタコの異種間&歳の差百合としかいいようがない描写が出てくる。

——54歳の女性と2歳のメスのミズタコの異種間&歳の差百合。

宮澤 書き手が水槽に手を入れると、ミズダコが寄ってくる。そこに著者のモノローグが被さるんですけど、タコは吸盤で味を調べることができて、人間と同様に女性ホルモンのエストロゲンがあるので「このミズダコは私を女だとわかったはずだ」と。そして「彼女の抱擁は今までに人間相手では経験したことのない感触だった」とか、激重の感情が語られるんですよ。

百合が俺を人間にしてくれた――宮澤伊織インタビュー|Hayakawa Books & Magazines(β)

マヨイガに2人きり」では、「54歳の女性と2歳のメスのミズタコの異種間&歳の差百合」とう構図が、空魚と外館・ハナの邂逅を通じて再現される。ただ「異種間&歳の差百合」そのものよりは、外舘とハナに対峙した空魚の反応が面白い。

外館とハナのふとしたやりとりに、空魚は「長年連れ添ったふたりのような穏やかな熱」を感じ、ドキッとしたり「いきなりプライベートな場面を見てしまったような気分」になる。また、空魚は外舘とハナの関係性について「ふたりだけの世界だけができあがっていて、ほかの人間のことは暇つぶし程度にしか関心を持っていない」と述懐する。裏世界に鳥子以外の人間が介入することを忌避する空魚だが、本質的に自分たちに無関心な外舘とハナに対してはどうやら許容できるようだ。

個人的に一番驚いたのは、空魚が外舘とハナに対して「ドキッ」としたことだ。これまで空魚は様々な女の感情に触れ、それらを面倒くさいものとして避けてきた。鳥子や小桜の冴月への感傷は意図的に無視するし、夏妃のソレに至っては圧を感じて茜理の家から逃げだしてしまった。そんな彼女の心が「異種間&歳の差百合」に対してはまるで私たち(百合厨)のように跳ねてしまう事実が面白かった。

逃げ場がない

全体的な印象を言うと、5巻はだんだんと空魚の逃げ場が失われてきているという印象を受けた。

ポンティアック・ホテル」では汀から牽制を受け、「斜め鏡に過去を視る」では鳥子の想いを直視することになった空魚。「あらゆる面倒くささ、しがらみ、お節介から逃げられる、自分だけの秘密の場所」を求めていたはずなのに、裏世界はかえって彼女に多くのしがらみを彼女にもたらしている。「八尺様リバイバル」ではなんと子供まで授かってしまった。

そう思うと「マヨイガに2人きり」の外館は、空魚の理想を体現したような生活を送っているのかもしれない。しがらみのある現実を離れ、夢のようなマヨイガに定住し、無二のパートナーも得た彼女は不十分のない暮らしをしているように見える。

しかしながら表世界に帰った空魚は不吉な夢を見る。穏やかな生活の裏側で、外館とハナが裏世界の脅威に怯えている様子が連想させられる夢だ。裏世界の鹿たちが目を塞ぐようなヒダを形成してるように、外舘とハナがお互いにしか関心を持たないのも、見たくないものを見ないようにするためなのしれない。「マヨイガに2人きり」は作品のテンプレ*2から外れたようなエピソードではあったけど、裏世界にもユートピアがあるように見せて最後に叩き割るような内容は、作中でも屈指の不穏さがあった。

紙越空魚がかわいくてたまらない

私が「裏世界ピクニック」シリーズが気に入った理由の8割くらいは紙越空魚にある。私は紙越空魚がかわいくてたまらない。

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眼鏡をかけることは媚びるということ

紙越空魚の魅力はなんだろうか。眼鏡八重歯オッドアイという媚びに媚びたヴィジュアルもさることながら、個人的には彼女の自己認識のガバガバさがキュートだと思う。

空魚はどう考えてもまともではないのに自分のことをただの陰キャ大学生だと思い込んでいる少女で、最近では「解離性の人格障害ではないか」という笑えない疑惑まで浮上してきた。

ただ病的な意味合いを差し置いても、彼女の自己認識はガバガバである。たとえば「ポンティアック・ホテル」ではDS研の汀(インテリヤクザ)の紙越空魚評が語られる。ざっくばらんに言えば汀は空魚をアウトロー扱いし、空魚は困惑しながらそれを否定するのだが、彼の空魚評はどう考えても正しい。

鳥子はすぐには反応できないだろう。子供の姿を相手に銃を向けるなんて、やさしい鳥子には無理だ。私が撃つしかない。私だっていやだし、鳥子にはドン引きされそうだけど──やられる前にやってやる。(「八尺様リバイバル」292p)

小桜からは 「人の心がない」とまで言われた空魚だが、このように思慮深い面もちゃんとある。しかし、思慮が外角低めに向いていることに彼女は気付いていない。

また、5巻ではとある理由から空魚がバロンダンスを踊ることになり、その際に彼女は悪の象徴・ランダ*3の役割を演じた。ランダとはバリ・ヒンドゥーの伝承に出てくる子供を喰らう魔女のことだ。

なんでやねん。誰が悪の象徴だ。(「斜め上鏡に過去を視る」91p)

自分がランダの役割を担ったことに不服そうな空魚だが、その気になれば子供を撃てる彼女はどう考えてもランダそのものである。誰が見ても紙越空魚はヤバイ女だけど、そんなところも含めてすごくかわいいのである。

*1:性別は言及されていないが名前からしてきっと雌だろう

*2:裏世界の脅威がネットロアの怪異の姿を借りて干渉してくる

*3:仏教でいうところの鬼子母神と同一視されているらしい。