ジョイナス最後の戦い

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アサヒ芸能・細江純子コラム 2017-2

初バラエティ番組で頭がカチコチに‥‥ …G3きさらぎ賞 ◎サトノアーサー

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 これまでアサ芸コラム内で競馬サークルで全く女扱いされなかったということを自虐し続けてきた純子。確かに細江純子はチヤホヤされるような美人ではない。しかし男性が見て生理的嫌悪感を抱くような醜女でもない。

 この回では某男性助手からセクシャルハラスメントを受ける純子の様子が描かれている。セクハラは2つに分類できると私は思う。1つは発信者にその意図がない場合。そして2つ目は発信者にその意図があるパターンだ。純子が男性助手から受けたセクハラは後者だ。そこには相手が異性だという意識が明白な前提として存在している。ただ配慮というものが欠けているというだけで。つまる話、細江純子の配偶者が競馬サークルの人間だということをわざわざ持ち出すまでもなく、純子はしっかりと「女扱い」されていたということだ。競馬サークルの人間によって。

 なお本命のサトノアーサーは2着だった。

 

「アサ芸」を見ながら乳首の大きさを比較 …G3共同通信杯 ◎ムーヴザワールド、スワーヴリチャード

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 まず読者は『「アサ芸」を見ながら乳首の大きさを比較』というタイトルに度肝を抜かれるのは間違いない。かく言う私も驚きを隠せなかった。アサ芸ホソジュンコラムが下品極まりないものだと重々承知していても。アサヒ芸能を見ながら乳首の大きさを比較する人がいるなんて、想定外にも程がある。

 この記事の秀逸なポイントは何といってもセンセーショナルなタイトルから、一転してまともに池江厩舎を取材したような出だしになるところだ。タイトルでシモネタの嵐を覚悟した読者は身構える。そこにクラシック戦線に臨む一流厩舎の様子を差し込むことで、緊張は緩和される。そして読者の気が緩んだところで、純子は一気に畳みかけていく。まるで高級娼婦になすがままにされるように、読者は彼女に手玉にとられてしまう。純子のライターとしての才能には鳥肌が立つばかりだ。

 母親のチクビを鼻や耳の穴に入れようとする息子の奇行もさることながら、池江厩舎の持ち乗り助手の「そんなにチクビ小さいの?」という発言が凄まじい。面と向かって女性に「チクビ小さいの?」と聞ける精神が私には理解できない。そして男性相手に「息子が自分のチクビを鼻や耳に入れようとする」と打ち明けられる女のメンタルも想像の範囲を超えている。こんな会話が成立する競馬村。タガが外れた世界だとしか思えない。

 急いで帰宅してアサ芸のヌードモデルの乳首と自分の乳首を比較する純子。帰宅して自分と他人の乳首を比べる女。競馬村はとんでもないものを産み出してしまった。

 なお注目馬のムーヴザワールドは3着、スワーヴリチャードは1着だった。

 

切れ味ピカイチのカフジテイク本命 …G1フェブラリーステークス ◎カフジテイク

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 競馬予想ブログと謡いながらも、レースの予想を一行だけで済ますことが多いホソジュンコラム。注目馬の名前をあげるだけで、推奨理由すら書かないことも増えた。そんな現状にホースコラボレーター*1としての良心が痛んだのか、この回では競馬予想要素が多くなっている。それどころかシモネタ要素が薄い。

 40過ぎの欲求不満のオバサンの痛々しいまでのシモネタ・自虐が飛び交うホソジュンコラムだが、この記事では息子の「石頭」が口元に直撃し歯が折れるという文字通り痛々しい彼女の近況が語られる。しかし「石頭」という単語を出して、「痛かった」だけで終わるのが純子ではない。後ろからの位置取りでやきもきさせながらも必ず末脚を炸裂させるカフジテイクのように、最後にちゃんと「亀頭」を絡めてきた純子。いやらしい。いや、すばらしい。彼女のシモネタライターとしての自在性を改めて実感した回だった。

 なお本命のカフジテイクは3着だった。

 

ピコ太郎の股間を意識してしまう… …G2中山記念 本命アンビシャス

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 「ピコ太郎」と名乗り、脱力系リズムネタで話題をさらった古坂大魔王。彼が急にブレイクしたことに私は驚きを隠せなかった。困惑すらした。ビルボードチャート入りする程の熱狂に、きっと古坂大魔王本人も驚いただろう。そんな彼が「滋賀在住の40過ぎの競馬ババアに股間を凝視されている」と知ったらどういうリアクションをするだろうか。きっと驚くだろう。でも面白い反応はしてくれないかもしれない。

 純子がピコ太郎をネタにするのは先月の日経新春杯のコラムに続いて二回目。そして昨年末の阪神JF週の記事にも出てきたシモネタ友の会のHちゃんも再登場する。

 「トイレだけ オレのペコチン 動きだす」という純子の一句に「『ピコ太郎 ヨメの前だけ ペコ太郎』か『ペコ太郎 繁華街では ピコ太郎』ですよ」と返すHちゃん。彼女は実在する果たして人物なのだろうか。シモネタ友の会なんてものは架空の存在で、Hちゃんは純子のイマジナリーフレンドではないだろうか。オバサンたちがシモネタで和気あいあいとする光景。微笑ましさがないとは言えないが、やはり底の見えない井戸のような恐怖を私は感じてしまう。下品なコラムの内容にゲラゲラと笑いながらも、心のどこかでこれは全くのフィクションであってほしいという想いを拭いきれない私がいた。

 なお本命のアンビシャスは4着だった。

*1:って何だよ

アサヒ芸能・細江純子コラム 2017-1

「適性距離はマイル!エアスピネル本命」…G3京都金杯エアスピネル

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 左の鼻から鼻水を出す母親と、パンツの左側からオチンチンを出す息子の対比ではじまった2017年。流れ出ていく鼻水と欲求不満故の"渇き"が結び付く流れには、"下品さ"を"生のリアル"に変換するような文学性を感じてならない。新年一発目から類まれな才能を見せつけてくれた作家・細江純子。今年も『ホソジュンの舞台裏届けます!』から目が離せないと思わせる快作だった。

 なお本命のエアスピネルは1着だった。

 

「京都外回りはプラス レッドエルディスト◎」…G2日経新春杯 ◎レッドエルディスト

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 有馬記念の地下馬道レポートの打ち合わせ。ディレクターから「先出し、後出しの馬がいたら伝えてください」との要望に「ナカダシは?」と聞き返す純子。これだけでも面白いのに、井崎先生への理不尽ななすりつけ、時事ネタ(ピコ太郎)の導入と魅せ続ける。テンよし、ナカよし、シマイよし。まるでキタサンブラックのような内容だ。新年早々<細江純子オブザイヤー2017>の有力候補が誕生してしまった。

 そして地下馬道での「ナカダシは?」発言は思わぬ反響を生み出すこととなる。詳細は後述。

 なお本命のレッドエルディストは4着だった。

 

「久々の前走で好走 リアファルに期待!」…G2AJCC ◎リアファル

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 この回で特筆するべき点は2つ。1つ目は細江純子エゴサーチをして、このシモネタコラムの反響を確認しているという点。「ホースコラボレーター」という肩書から「馬との獣姦」を連想してしまうという、まるで細江純子並の思考回路を持った人物の書き込みを発見してしまった純子。「エゴサーチは悲しみを生むだけ」が自論の筆者だが、エゴサーチによって同類を発見した純子の感動は想像に難くない。女史には悲しみを生まない程度にエゴサーチに励んでいただきたい。

 そして2つ目はシモネタに文面を使いすぎたのか「それでは皆さん、週末は競馬場、もしくは「みんなのKEIBA」(フジテレビ系)でお会いしましょう。ホソジュンでしたぁ。」という締めのテンプレが省略されてしまったことである。雑誌のコラムである以上、紙面のスペースという制約は無視できない。渾身の下ネタを削れず泣く泣くテンプレを消した純子の姿も想像に難くない。

 なお本命のリアファルは14着だった。

 

根岸Sは切れ味あるカフジテイクに期待!」…G3根岸S ◎カフジテイク

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 自分のオチンチンと40過ぎの母親の乳首をくっつける息子の奇行からはじまった3回。そんなエロ息子を心配する純子。おそらく読者全員も心配だろう。この息子が入園した幼稚園の保母さんとか周りの女児が。

 コラムの後半は純子在籍時の競馬学校の校長から、「アサヒ芸能、読んでる」というメールを貰ったという話。諭されると思いきや先述の「ナカダシは?」のコラムが面白かったと褒められるというまさかの展開。

 "最も苦しかった騎手時代に私を救ってくれたシモネタは、今でも私の心の逃げ場所であり、救世主"*1と語る純子。"逃げ場"だったシモネタが、細江純子の世界を広げていく。そんな現在進行形の奇跡を一瞬垣間見させてくれる回だった。

 なお本命のカフジテイクの着順…レース確定後に発表します。

*1:ホソジュン(細江純子)の競馬予想ブログ]ホソジュンの舞台裏届けます!「ホッコータルマエは引退するまで本命!

細江純子オブザイヤー2016②

細江純子オブザイヤー①の続きです。

 

特別賞 「2走前の内容を評価ゼーヴィント本命!」…G3ラジオ日経賞 

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 番組収録前の打ち合わせで、井崎先生がフッてこないから、自ら「私はサセコですが、何か?」と切り出す純子。

「バージンからバーゲンへ」という井崎先生の秀逸な返しにも唸らされるところだが、やはり主役は純子。「そうそう。卒業後はサセコからサスコになり、今ではササレナイナイコに。これぞまさに、悲しき女の3段活用だぁ〜」と最高のリターンを決める。

 何かと評判のよろしくない「みんなのけいば」だが、テコ入れとして本番前の井崎先生と純子のやりとりを流した方がいいのではないか。

 書店では「優駿」が風俗情報誌の隣に並べられている。哀しいかな、未だに競馬は世間では低俗なものと見なされているのが現状。ならばいっそ開き直って、地上波中継も純子と井崎のシモネタ競馬にするくらいでいいだろう。

 

 純子はこの「3段活用」という表現を気に入っているようで、「脚質にも幅が出たアンビシャス本命」では、明け3歳の息子に胸を「触る・揉む・舐める」の3段活用攻めされている旨が記されている。今後どういった「3段活用」が見られるか期待したい。

 なお本命ゼーヴィントは1着。

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準オブザイヤー 「名手の腕にも期待モーリスが本命!」…G1天皇賞・秋

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 何を考えているのかこの女は。

 競馬予想ブログと銘打ちながら、メンヘラかまってちゃんの日記風の出だし。「アサヒ芸能はお前の日記帳じゃないぞ」と小一時間説教してやりたくなるような激昂に駆られつつも、読み進めるとあら不思議。

 

 息子が傷心の母親を慰める、いい話になってるじゃないか。

 

 メンヘラからのいい話。緊張からの弛緩。純子は緩んだ瞬間を見逃さない。気が付けばそこには「もう、オニイチャンだよ」と"息子の息子"を露出する純子の息子の姿があった…

 有馬記念はペースが緩んだところでサトノダイヤモンドのポジションを押し上げたルメール騎手の好騎乗だったが、話の流れにできた緩みにすかさずシモネタを投入してきた純子もG1級だと言わざるをえないだろう。息子に陰茎をしまうように促しながらも、その堅さに成長を実感するあたりもポイントが高い。

 

 この回で見逃せないのが、「シモネタによる救済」というテーマだろう。

 「君の名は。」を見て救われた人も世の中にはたくさんいるという。私にはそれがよく分からない。しかし、息子の下品な行動に救われた純子のことは、なぜか分かるような気がするのだ。

 なお本命のモーリスは1着だった。

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細江純子オブザイヤー2016 「ホッコータルマエは引退するまで本命!」…G1チャンピオンズカップ

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 純子が聞かれてもいないのに自分の性体験について語ったり、息子の異常行動を書き連ねている様子を想像するのはけっこうキツイ。それ以上にキツイのが、そんな41歳のオバサンも我々と同じように傷ついたり悲しんだりする人間だということだ。

 私もそうだ。誰にも求められてもいないのに、デカパイだのおちんぽだのSNSで呟き続けている。そうすることで、ストレスを解消している。だから、シモネタが心の逃げ場所であり、救世主だという純子の言葉は胸に響く。私は細江純子だったのだ。あなたもひょっとしたら、細江純子なのかもしれない。

 純子のシモネタコラムは反響が大きく、ついには競馬ではなくシモネタ絡みでテレビの出演オファーがあったらしい。シモネタという神様は、逃げ場だけでなく、新しい仕事まで与えてくれるようだ。細江純子と彼女の下ネタの世界の発展から今後も目が離せない。

 なお引退するまで本命の予定のホッコータルマエは左前脚ハ行でチャンピオンズカップを回避。そのまま引退となった。

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細江純子オブザイヤー2016①

 本記事は元祖女性騎手でホースコラボレーターの細江純子氏がアサヒ芸能で連載中のコラム「ホソジュンの舞台裏届けます!」の2016年度公開分から、選りすぐりの優秀作品を紹介しようというものである。

 「ホソジュンの舞台裏届けます!」はアサ芸本誌のみならず、アサヒ芸能の風俗情報サイト「アサ芸風俗」にて「ホソジュン(細江純子)の競馬予想ブログ」として毎週金曜日に公開されている。

 飲む買う打つはセットであるという風潮は、未だ強い。とはいえ、元女性騎手の競馬予想コラムがなぜ風俗情報サイトで公開されるのかと疑問に思われる方もいるだろう。しかしアサ芸の考えることなんて深く考えたら負けである。そんなこと考える暇があったら資格の勉強でもしたほうが遥かに有意義だ。

 それでも疑念を捨てきれぬ方は「ホソジュンの舞台裏届けます!」を一読してほしい。読めば「ホソジュンの舞台裏届けます!」が風俗情報サイトで公開されていたとしても文句が言えないほど下品な読み物だということを否応なく思い知らされるだろう。

 本記事では同コラムの中でも選りすぐりの作品のもののリンクを貼り、その内容についてのささやかな評を記した。細江純子コラム傑作集だ。困ったことに細江純子氏のコラムはどれも紹介したくなるような名作ばかり。絞り切れず二回に分けての公開になるということを先にお詫びしたい。2016年度ナンバーワン作品、「細江純子オブザイヤー2016」の発表は次回までお待ちいただきたい。

 

1.「マカヒキを軸に人気2頭で勝負」 …G2弥生賞

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 今やすっかり競馬サークルの姫と化した藤田菜七子騎手。CM出演に菜七子フォトブック・カレンダーの発売、そして彼女の所属する厩舎にプリンセスナナコという名前の馬が入厩してきたのは記憶に新しい。

 騎乗機会に恵まれているとは言い難い彼女だが、同じ女の身でありながら「おばちゃん」「デブ」「女子プロレスラー」「はにわ」と呼ばれた女性騎手と比べれば幾分恵まれていると言えるだろう。女の子に「おばちゃん」「デブ」「女子プロレスラー」「はにわ」扱いなんて…

 16年前に女性扱いすらされなかった女性騎手がいたことを忘れないでほしい。

 なお予想は軸のマカヒキは1着、相手のリオンディーズエアスピネルはそれぞれ2、3着と完全的中だった。

 

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2.「ディーマジェスティとサトノDの馬連1点!」…G1東京優駿

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 とくに面白い内容ではないが、「ディーマジェスティ(3着)とサトノダイヤモンド(2着)の馬連一点」という予想が素晴らしかったのでノミネート。

 純子はレース後に口惜しさの余り「私のアソコもワイドになったし、ワイドにしとけばよかった‥‥ナンチッテ。」と言ったことだろう。

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3.「「おい、チクビ!」と声をかけられる日々」…G3函館スプリントS

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 かつて「はにわ」と呼ばれた女が、今は「チクビ」と呼ばわりされている。自分を女扱いするのは、乳首を吸ってくれる息子だけだという。熟女ヌード目当てにアサ芸を購入した読者も面を喰らうであろう悲しき女の告白である。

 馬上から純子を「チクビ!」と呼んだ騎手は、純子の夫が乗り役を務める橋田厩舎との結びつきが強く、純子の後輩である元女性騎手西原玲奈が調教助手として担当するレッツゴードンキの主戦騎手である岩田康誠騎手と思われる。

  なお注目のローレルベローチェは13着だった。

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4.「初の競馬観戦で息子が騎手に興味」…G3クイーンステークス

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 純子の息子が騎手に興味を持つという微笑ましい出だしから一転、純子が聴かれてもないのに初体験の様子を語り出すエピソードが語られる。

 「Hの次にIが来る」とフッてしまった井崎脩五郎先生は果たして後で周囲に謝罪したのだろうか。過失の50%ほどは井崎先生にあると思う。

 純子期待のチェッキーノは左前脚屈腱炎を発症。出走取り消しとなった。

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5.「雨が降ると凡走する〝顔シャ〟嫌いの馬」…G3新潟2歳S

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 雨の降る日は走らなかったシルクフェイマスのエピソード。珍しく競馬予想ブログらしい内容かと思いきや、雨と顔射を結び付ける最低な内容。シルクフェイマスの出資者が見たら激怒するだろう。

 文中さらっと「顔射された経験はない」と告白する純子。シルクフェイマスの気持ちは分からないというが、私は聞かれてもない自身の性体験について答える純子の気持ちが分からない。

 なお純子が期待したモーヴサファイアは8着だった。

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6.「エッチが上手なスポーツ選手は?」…G1阪神JF

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 シモネタ友の会という謎の会の存在もさることながら、競馬予想ブログを謡い「エッチが上手なスポーツ選手は?」というタイトルのエントリーを投下する純子の度胸に恐れ入った。先行馬で追い込んだり、追い込み馬で逃げたりする横山典弘騎手のような型破りさを純子はアサヒ芸能で発揮している。

 シモネタの反響が大きくなるにつれて、純子は下ネタの割合を日ごとに露骨に増やすようになってきた。その結果、この記事における競馬予想ブログらしき内容は「さて、本題の阪神JFですが、アルテミスSを制したリスグラシューを本命に。」の一文のみ。もはや感動的ですらある。リスグラシューは2着だった。

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 それでは皆さん、次回「細江純子オブザイヤー2016②」でお会いしましょう。ちんぽジョイナスでしたぁ。

リンネ・ベルリネッタの解放

 リンネ・ベルリネッタというキャラクターを見ていると、あるキャラクターのことを思い出さずにはいられない。『ViVid Strike!』の西村純二監督が手がけた『true tears』のヒロイン石動乃絵のことだ。

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 リンネと乃絵の立ち位置は似ている。リンネは養祖父を、乃絵は祖母を過去に失っている。大切な人との死別がきっかけでリンネは強さを求めるようになり(ドブみたいに濁った目になり)、乃絵は涙を流せなくなった。強さを求めるリンネだが、フーカ・レヴェントンは、リンネは目先の目標にすがって、辛い過去や自分や周囲のことから目を背けているだけだという。乃絵は気高く"飛べる"存在を求めている。しかし"飛ぶ"には辛いことからの逃避という意味も込められていた。リンネの瞳は濁り、乃絵の瞳から涙は流れなくなった。そんな状態からの恢復を描いたという点で、『ViVid Strike!』は『true tears』と似たような筋書のアニメだったと言えるだろう。

 

 またリンネ・ベルリネッタは自己を抑圧しているという点で、『true tears』のもう一人のヒロイン湯浅比呂美とも通じる。

 

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 眞一郎と比呂美は相思相愛なのだが、比呂美は眞一郎と自分が異母兄妹だと思い込んでいる。それ故に比呂美は自分の感情を抑圧せざるをえない。血の繋がった兄とは結ばれてはいけないのだ。

 リンネは格闘技に打ち込むにつれて、その楽しさに目覚めていた。しかし彼女は深い自己嫌悪感に苛まれている。養祖父との約束を果たせなかった弱い自分を許せないのだ。リンネ・ベルリネッタは極めて自罰的な存在で、強さを求める理由の根底には自分に対する怒りがある。リンネにとって格闘技とは自罰的な行為の延長にあるもので、楽しむべきものではない。それ故に彼女は格闘技を楽しむ自分を抑圧している。

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 『true tears』でも乃絵と比呂美のキャットファイトが描かれたが、『ViVid Strike!』で繰り広げられるバトルは、乃絵と比呂美の競り合いとは次元が違う。それは歯も肋骨も平気で折れてしまうような暴力の世界だ。壮絶さと過酷さの中で、ヒロイン・リンネ・ベルリネッタの歩んだ道のりが作中で問われていく。

 リンネが格闘技を始めたのは、弱い自分への嫌悪感がきっかけだった。強さを手に入れたと感じられた瞬間、それがリンネのゴールだ。しかしながら格闘家としてのリンネは持って生まれた身体能力に恵まれた強者である。強者だからこそ彼女はいじめっ子たちに報復できた。リンネは既に敵を屠る力を持っていたのだ。

 生得的な並外れたパワーとタフネスをいかした戦法でリンネは有力選手となっていく。彼女のスタイルは持ち味を生かした合理的な選択といえる。ただし彼女の身体能力は天からのギフトであり、彼女が自力で獲得したものではない。つまりリンネのスタイルは、先天的な強さに縋っているものといえる。いじめっ子たちに報復した時に使った生得的な力を、リングの上でも奮っているに過ぎない。元から手にしていた力を使うだけだから、いくら相手を倒しても「強くなれた」という実感に欠ける。それ故に、リンネはアインハルト・ストラトスのような強者を打ち負かすことに執着せざるをえない。それが彼女にとって唯一自分が強くなったことを実感できる方法なのだ。

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 フーカより先にリンネを下すのが高町ヴィヴィオである。私は『ViVid Strike!』しか見ていないので、本作品以前のヴィヴィオというキャラについては言及できない。ただヴィヴィオはリンネとは違い、身体能力に恵まれていない格闘家として作中で触れられるというのは明白である。フィジカルに欠けるヴィヴィオは、テクニックで相手と勝負をせざるをえない。ヴィヴィオはリンネのパワーに追い詰められるが、練習で身につけたサウスポースタイルで逆転する。リンネとヴィヴィオの差は、強くなりたいと願った末に手に入れた引き出しの数の差だ。先天的な"強さ"に甘えるリンネが、後天的に"強さ"を獲得したヴィヴィオに屈したのだ。

 

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 フーカ戦では、リンネはナカジマジムの先輩たちの技を駆使するフーカに追い詰められていく。ここで人の輪の中に生きるフーカと他者を拒絶するリンネの対比が強調される。リンネにはフーカと違って技を教えてくれるような仲間がいない。リンネが惨めに思えずにはいられないシーンである。

 

 ここまでの展開は、リンネにとって残酷な事実を突きつけている。彼女は孤独であり、強くなりたいと願ったのに、アインハルトを倒すどころかヴィヴィオに二度も負け、フーカにすら追い詰められている。そんな彼女に自分の「強さ」を実感できる日が来るだろうか?

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 フーカの猛攻に、リンネの意識は途絶えかかる。意識が飛びかける最中、リンネは彼女のコーチであるジル・ストーラとの特訓の日々を思い出す。ジルはリンネを苦しい局面でも強い一撃を打ち返せるように鍛え上げた。極限状態のリンネは、フーカに会心のアッパーを放つ。

 ジルは体格に恵まれず、故障に泣かされ現役を引退した。そんな彼女にとって恵まれたフィジカルを持つリンネは、自分の叶えられなかった夢を実現させてくれる存在だった。リンネの才能に溺れ、彼女の心に向き合わなかった自分はコーチ失格だとジルは自戒する。

 リンネもジルも間違っていたのかもない。しかしリンネのアッパーは、そんなリンネとジルの歩みが、たとえ間違った道だったとしても無駄ではなかったということを証明するものである。

 リンネは孤独ではなかった。養祖父を失い、他者に心を閉ざすようになっても彼女の側にはジルがいた。ジルはリンネの心に向き合わなかったかもしれない。しかし苦境に立ち向かう強さをジルはリンネに教えていた。それは強くなりたいと願ったリンネが後天的に掴み取った確かな"強さ"だったのだ。リンネはアインハルトとのタイトルマッチにたどり着けなかったが、その過程で彼女は"強さ"を手に入れていたことをフーカとの激闘を通じてリンネは実感する。

 幼馴染の歯が折れるほどの強烈なアッパー。神すら倒せる一撃。個人的に今作で最も熱いシーンだった。『ViVid Strike!』という物語はジルとリンネという不器用な師弟の過ちを指摘し、糾弾するだけでは終わらなかった。彼女たちの歩みを拳で祝福したのだ。その一撃で歯が折れたフーカが孤児院時代の彼女を想起させ、仲違いしたフーカとリンネがかつての関係に恢復していることを示唆する演出もニクかった。

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 『ViVid Strike!』は『魔法少女リリカルなのはシリーズ』に位置づけられる作品だが、『なのは』にこれまで触れたことのない自分でも十二分に楽しめた。格闘技アニメ(魔法少女アニメ)の体裁をとっていたが、西村監督がかつて『true tears』で描いたようなような抑圧からの恢復の物語であり、自意識に苦しめられるヒロインが、彼女を大切に想う他者の手によって本音を引き出される、抑圧された自己を解放する物語に心が震えた。サンキュージュンジ。ナイスハーモニー。

ウイニング競馬MC鷲見玲奈という名の"少女"

 『Simoun』というアニメが今から10年前に放送されていた。

 『Simoun』はシムーンというアンモナイトのような形状の飛行艇を操る巫女たちの物語。このアニメの世界では人間はなんと全て女として生まれる。そして彼女たちは17歳になると性別を選択するのだ。

 作中、オジサンキャラが何名か出てくる。結婚し、父親となるキャラもいる。とんでもない話だが、彼らもみな昔は「少女」だった。主人公の巫女たちは現在進行形で「少女」である。性の選択をまだしていない「少女」でなければシムーン乗りの巫女になれないのだ。そんな巫女たちを見て、オジサンたちは物思いに耽る。「ああ、私も昔はあんな少女だったんだなあ…」と。

 

 私は競馬ファンである。過去形ではなく、現在進行形で競馬ファンとして生きている。実は競馬ファンになって5年も経っていない。ただ私なりに、競馬という娯楽と共に時間を費やした。もはや「ニワカ」とはいえなくなったと思う。

 「ニワカ」だったのは私だけではない。誰もが「ニワカ」だった。

 「ニワカ」という時期は最も熱い時期である。当然ながら「ニワカ」には知識と経験が足りない。だからこそ、「ニワカ」は欠けているものを埋めようと必死になる。そこに惰性はなく、情熱しか存在しない。

 

 鷲見玲奈アナ、彼女には競馬に対して真剣になる義務はきっとなかった。彼女は露出の多い服を着て、配当を読み上げるだけの存在でもよかったはずだ。

 鷲見玲奈アナの初登場時、我々視聴者は規格外の巨乳アナの登場に沸き立った。残念ながら、競馬の魅力は誰にでも伝わるものではない。しかし鷲見玲奈アナの胸の大きさは、老若男女問わず一瞬で理解できるほどのものだ。こんな胸が見られるなら、彼女がどうであれそれでいい。そう私は思った。

 しかしながら我々は、鷲見玲奈アナがただ乳がでかいだけの女子アナではないことに気付く。メインレースの名称にちなんだ自作バッジを彼女はその豊かな胸元につけて出演するようになった。彼女は番組に対して非常に熱心な女子アナだったのだ。そして競馬番組に真剣に取り組もうという姿勢は、鷲見玲奈アナに自ずと競馬に対してのひたむきさ、情熱を芽生えさせたに違いない。鷲見玲奈アナはこの2年の間に中央競馬中継の担当のアナウンサーにすぎないのにプライベートで大井競馬に足を運び、そこで3連単馬券を買っているような人間になってしまった。一般論として、中央競馬中継の担当のアナウンサーにすぎないのにプライベートで大井競馬に足を運び、そこで3連単馬券を買っているような人間は競馬ファン以外の何者でもない。

 

 鷲見玲奈アナが中央競馬中継の担当のアナウンサーにすぎないのにプライベートで大井競馬に足を運び、そこで3連単馬券を買っているような人間になってしまった2年の間、我々はウイニング競馬で何を見ていただろうか?私は巨乳を見ていた。しかしそれは50点の回答だ。巨乳を通して我々が見ていたものは鷲見玲奈という名の「ニワカ」だった。彼女はその大きな胸に競馬への情熱を宿し、だんだんと競馬を好きになっていった。

 我々もかつては、鷲見玲奈アナのような「ニワカ」だった。鷲見玲奈アナの艶めかしい胸・腋・腕・脚に喪失した自分の姿を、「ニワカ」だったころの熱い想いを、我々は見出していたのだ。それは『Simoun』のオジサンたちが巫女を見て「少女」だった頃の自分を思い出すような、懐かしく切なく、甘美なものだった。我々が喪ったものは鷲見玲奈アナの中に生きていた。しかしながら我々は、あと少しでウイニング競馬から鷲見玲奈アナを喪ってしまう。鷲見玲奈アナの中に確かに宿っていた、我々の熱い魂はどこへ行ってしまうのだろうか。