- はじめに
- 1. 不条理アニメ・グラスリップ
- 1-1. シーシュポスの神話
- 1-2. 沖倉駆の信仰
- 1-3. 深水透子の勝利
- 1-4. 欲しいものは手に入らない
- 1-5. 井美雪哉の再戦
- 1-6. 永宮幸の追放
- 1-7. 視聴者の敗北
- つづきはコチラ
はじめに
「グラスリップ」はどういう物語だろうか。一つの解釈を示すと、それはトラウマを抱え他人との関りを避けていた沖倉駆が深水透子によって救済される物語である。
しかしながら駆の救済にどれほどの価値があるというのだろうか。駆は協調性がなく利己的で、何を考えているかいまいち理解しずらいキャラクターだ。彼に好感を抱く視聴者はほとんどいないだろう。好きになれないキャラの救済を喜ぶというのはなかなかハードルが高い。
好きになれないならば、哀れむのはどうだろうか。好意は持てないとしても、まさに「悲劇の主人公」とよべるほど気の毒な人なら、救われて「よかった」と思えるかもしれない。
ところが駆の「悲劇の主人公」としての適格性にも疑問がある。私たちがエンターテインメントに求める悲劇とは、それまでの日常を一変させるような破壊力がある。そして破壊の爪痕が深いほど、再生の物語も見栄えする。だがしかし駆のトラウマとなっている「唐突な当たり前の孤独」は悲劇としては非常に地味である。要は、どこへ行っても「新入り」の駆は周囲と共通の思い出を持っていないから、ふとした瞬間に疎外感を覚えるということだ。友人たちの話題についていけなかった経験なんて誰にでもあるだろう。こうした疎外は人が人と関わる限り常に起こりうる。つまりは「唐突な当たり前の孤独」とは日常を一変するものであるどころか、極めて日常的なものなのだ。これを悲劇と呼ぶには仰々しすぎるといわざるをえない。
そもそも沖倉駆はスペックの高い人間である。まず彼は容姿が優れている*1。そして彼は他人とは関わり合いを避けているだけで、いわゆるコミュ障ではない。透子を出会ったその日に呼び捨てすることから分かるように一気に距離を詰めてくるタイプで、むしろコミュニケーション強者といっていい。透子という天然で可愛いガールフレンドができたのはその証左である。傍から見れば、可哀想どころか羨ましいくらいである。「いったい何が不満なんだ」と思ってしまうほどだ。
私たちからすれば沖倉駆はつまらないことで悩んでいるように見えるかもしれない。「「唐突な当たり前の孤独」なんて我慢しろよ」と言いたくなるかもしれない。だから未来が見える少年少女のお話と思わせて、沖倉駆というなんだかよくわからない青年の問題を掘り下げていった「グラスリップ」という作品がつまらなく思えるのは仕方がないことだと私も思う。仕方がないと思うが、我慢していただきたい。この作品を理解するには、よくわからないキャラクターたちの内面にもっと寄り添っていかなければならないのだ。
キャラクターたちを、そしてこの作品を理解する上での2つキーワードをまず私は提示したい。1つは不条理だ。不条理、すなわち道理に合わないものとの相対がこの作品では描かれている。そしてもう2つが、作中で登場するエッシャーの「昼と夜」が示唆する世界の多元性である。
これらの2つのキーワードから「意味不明」とさえ言われる「グラスリップ」を解説していこうと思う。
*1:作中のほとんどの女性キャラからイケメン扱いされている