10位:ルーラーシップ
現役時代はそこそこ好き‥‥くらいだったけど、産駒がデビューしてからより愛着が増した。産駒を毎年POGで指名しないと気が済まない。
今のところリーディング10位圏内常連のポジションには落ち着いている。これから非SSの種牡馬が増えてきて、年々立場が苦しくなっていくのだろう。
9位:クロコスミア
馬主が誰であれ馬に罪はないので‥‥。
3年連続でエリザベス女王杯は本命にして、3年連続で2着。さすがに愛着抱いてしまう。
母父ボストンハーバーのおかげで先行できるけど、ボストンハーバーのせいで最後は捉えられる。そんなジレンマを抱えた馬だった。
8位:ロゴタイプ
長い低迷を経て復活したクラシックホース。ダートの根岸Sを走らされたり、中京記念を走らされる寸前だったり‥‥
稀勢の里(現・荒磯親方)が「アドマイヤコジーンが好き」と言っていたが、きっとこの馬のことも好きなのではないだろうか。
7位:フラガラッハ
12-13の中京記念を連覇。前年のリプレイでも見ているような追い込みは印象的でした。
フラガラッハが中京記念に強い理由が気になって、自分なりにいろいろ勉強しようと思った結果、血統や配合に興味を持った。フラガラッハが今の自分を作ったと言っても過言ではない。
6位:カデナ
この馬も長く低迷していて、一時はOP特別ですら勝負にならない有様。それだけに3年ぶりの勝利となった小倉大賞典は感慨深かった。
POGで指名していただけあって個人的な思い入れも強い。
5位:メイケイペガスター
共同通信杯のパドックを見ていて「すごく綺麗な馬だな」と思ったのが好きになったきっかけだった。青毛は見栄えがいい。
素質を感じさせる馬では合ったけど、とにかく酷い気性難だった。皐月賞で「競馬を覚えさせ」られていた馬なんて今後見ることはないだろう。
最後は去勢手術で暴れて予後不良。生きていれば中京競馬場で乗馬としてまた会えただろう。
4位:ディープブリランテ
自分がちゃんと競馬を見始めた頃にちょうどクラシック戦線を争っていたのが2012世代。そのダービー馬。
フェノーメノを鼻差凌いだダービーは、自分の中のサラブレッドの「強さ」の理想になった。華麗な差し・追い込みで魅せる馬よりも、先行して粘り込む馬が好きなのは、間違いなくディープブリランテがきっかけだった。
3位:ジェンティルドンナ
12世代の女傑。
距離不安説を一蹴したオークスもすごかった。(ケチが付いたけど)オルフェーヴルを競り落としたJCも、横っ飛びからシリュスデゼーグルを差し切ったドバイシーマクラシックも凄かった。
でも個人的に度胆を抜かれたのは3冠目の秋華賞。4角の位置取りが後ろ過ぎて絶望的だったにかかわらず、物凄い脚でヴィルシーナに並びかけ、最後は競り勝った。「なんだこの馬は」という衝撃は、秋華賞が一番大きかった。
2位:ゴールドシップ
実のところ最初はそれほど好きな馬ではなかった。
転機となったのは15年の天皇賞・春。ゴールドシップがスパートをかける前に勝負がついてしまうだろうと思いながら、京都競馬場のスタンドからターフを眺めていると、鞍上・横山典弘の手が動いた。なんとゴールドシップはバックストレッチから先団に取りつき、直線で逃げるカレンミロティックを捉えると急追するフェイムゲームを凌ぎきった。歴史的名騎乗という他にない。
「ゴールドシップは京都は苦手」と考えていた私はゴールドシップを外した馬券を買っていた。事実、ゴールドシップは2年連続で天皇賞・春で凡走していて、15年においても2番人気ながら「どうせ今年も‥‥」というような懐疑的なムードが漂っていた。
自分の馬券はカレンミロティックを軸とした3連複で、フェイムゲームも4着だったラストインパクトも買っていた。ゴールドシップさえこなければ馬券は的中していたし、結構な額の払い戻しを受けたはずだった。しかしながら、バックストレッチを駆け上がるゴールドシップを見た瞬間、自分の馬券のことはどうでもよくなってしった。そして気が付けば「ゴールドシップ、行け!」と叫び、ゴールドシップが1位入着を確信した瞬間にはスタンドに向かって吠えていた。馬券を外した悔しさは一切なく、破天荒な走りで懐疑論を打ちのめしたゴールドシップに心の底から感動するばかりだった。
15年の春天こそが競走馬ゴールドシップのハイライトだと確信している。だから宝塚記念のことばかり話題になるのは正直愉快ではない。ゴールドシップが立ち上がって出遅れた。細江純子が「キャー」と叫んだ。だからなんだというのだ。叫んだのは俺だ。ゴールドシップが叫ばせたのは細江純子じゃなくて俺なんだ。
これからも私は「俺のゴールドシップ」を語り続けていかなければいけないだろう。ゴールドシップとは、私にそう思わせるサラブレッドだ。
1位:キタサンブラック
キタサンブラック | 競走馬データ - netkeiba.com
昔はキタサンブラックを強い馬だとは思えなかった。正直なところ「レースが上手いだけの話題先行の馬」だと思っていた。
自分がキタサンブラックの評価を覆すきっかけとなったのが16年の宝塚記念。初夏の仁川で1000m59.1のペースで逃げ、タイム差なしの3着。「レースが上手いだけの馬」と思っていた自分が間違っていた。キタサンブラックはディープブリランテのように「粘る強さ」を持つ馬だった。この宝塚記念をきっかけに、自分はキタサンブラックの虜となった。
そして夏を越え、秋2戦目のジャパンカップ。鞍上・武豊は残り800メートルからスパートをかける。キタサンの早めのスパートに余力を潰されたライバル達は、キタサンブラックの「一人旅」を許してしまった。4歳春以降のパートナー武豊の編み出した先行4ハロン戦法は、キタサンブラックの粘り強さを最大限生かし、また上り3ハロンのキレを武器とするライバルたちを苦しめた。
ディープインパクトやオルフェーヴルのような破格の能力を持った馬だったとは思わない。しかしながら粘り強さと戦略性を武器にビッグタイトルを重ねたキタサンブラックも、サラブレッドの理想形の一つといえるだろう。