ジョイナス最後の戦い

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グラスリップにおける「海」と「山」について

 グラスリップでは「海」「山」の対比、対立が作中見え隠れしている。

 一番象徴的なのが7話で深水透子が沖倉駆が転落する"未来のかけら"を見る場面だ。

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 "未来のかけら"を未来予知だと信じ込んでいた透子は、落下する駆のイメージを見て「高いところは危険だから」「山」ではなく「海」に行こうと駆にせがむ。

 

 

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  "高山"やなぎ"深水"透子の対比もその一端と言える。"高山"は言わずもがな。"深水"は深い水。深い水といえば海を連想するだろう。彼女たちの苗字はそれぞれ「山」と「海」を表している。

 そしてグラスリップには登山が趣味の白崎祐が登場する。彼もまた「山」に属している存在だ。

 

 グラスリップの結末を雑にまとめるとこうなる。透子にベタ惚れだった井美雪哉・永宮幸透子への執着から解放されそれぞれ高山やなぎ・白崎祐との距離を縮めることとなる。そして透子のいる日の出浜からいなくなってしまう。そこからからへ」という動きを見出すことができる。誰もがに属する透子から離れていって、に属する方面へ移っていくというイメージだ。

 とはいっても「海から山へ」と漠然と投げかけたところで鳩が豆鉄砲を食ったような顔をされるのがオチだろう。そうならないように、この作品における「海」と「山」がどういう意味を持つかをもう少し具体的に紐解いていきたい。

 

 「海と山」という構図について、透子の父・深水健が5話でさりげなく触れている。

深水家の団欒における健の発言はどれもただのくだらない話のように思えるが、その全てが物語のテーマに直結するものである(この件についてもいつかまとめたい)。f:id:joinus_fantotomoni:20160703101432j:plain

 5話での彼の発言は「1221年は承久の変」と歴史の年号を暗記しようとする女子高生の声を立ち聞いたというもの。承久の変といえば後鳥羽上皇鎌倉幕府との間で行われた兵乱。ここで連想したいのが朝廷を敵に回そうとする兵士たちに北条政子が説いた「頼朝公の恩は山より高く海よりも深い」という言葉である。

 「山よりも高く海よりも深い」というのが重要だ。「高い山」でも「深い海」ではなく「山よりも高いもの」「海よりも深いもの」。実を言うと山や海そのものよりこちらに着目すべきなのだ。

 「山よりも高いもの」といえばである。「海より深いもの」といったら海底よりも深い、我々の目では直接見られないような地層になってくるだろう。問題はこれらが何のメタファーなのかということ。

 

 「山より高いもの」を考えるにあたって、7話の駆が落ちていく"未来のかけら"を思い返してほしい。

 駆は高いところから落下している。彼は何処から落ちているのだろうか?と考えると空から落ちていると考えるのが自然だろう。そして駆がもし空にいたのならば、それは彼が空を飛んできたということだ。"飛ぶ"というキーワードをここに見出すことができる。

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 ここで触れておきたいのがジョナサンの存在だ。

 透子の高校で飼われているニワトリのジョナサン。彼は別の場所からやってきたせいか一羽だけ浮いていて、転校生・沖倉駆は自分と彼を重ねていた(1話)。いわば駆の分身と呼べるような存在である。

 ジョナサンの元ネタは「カモメのジョナサン」で、カモメが"沖"を飛ぶ生き物という点から見ても沖倉駆≒ニワトリのジョナサン≒カモメのジョナサンという構図を感じ取れる。普通のカモメは生きるため、食べ物を確保するために"飛ぶ"。しかしジョナサンだけは"飛ぶ"ことそのものを目的にしている。それが故に彼もまた作中で群れから浮いた存在として扱われている。

 "未来のかけら"の中で飛んだ駆。ジョナサンの分身である彼が"飛ぶ"という幻影に駆の目的を果たそうとする意思を見ることができる。つまり「山より高いもの」からカモメのジョナサンを経由して目的に向かうということにつながるメタファーだというのが自分の考え。

 しかしながら駆は落下していってしまう。

joinus-fantotomoni.hatenablog.com

 駆の"目的"については上記のリンク先の記事で詳しく書いたが、ざっくり説明すると駆の目的は各地を巡ることである。しかし各地を転々とする生活は彼の理想の生き様であると同時に「唐突な当たり前の孤独」をもたらした原因でもある。それ故に駆は目的はあっても決断できないという状況下に立たされている。そんな彼の心境を投影したものが透子の見た"落ちていく駆"のイメージの正体で、「目的を果たそうとすると孤独によって傷つけられる」というジレンマが「飛べば落ちる」という形になって表れているのだ。 

 透子の「高いところは危険だから」だという発言も、メタファーのレベルでは妥当なものだ。高みを目指す、つまり駆が目的を果たそうとすれば「唐突な当たり前の孤独」に直面することになる。そして駆の目的が果たされるということは、透子と駆の別離を意味することでもある。「海にいこう」というのは自分のもとに駆を引きとめようとする透子の反作用でもあるのだ。

 

 では「海より深いもの」とは何だろうか?

 当然のことだが我々は「海より深いもの」を見ることができない。しかしグラスリップには本来見ることができないものが見えるという場面が多々ある。

 

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 9話の地球照は月の欠けた部分が地球からの照り返しによって見えるようになるという現象である。また最終回の流星群も本当なら悪天候で見えなかったはずのもの。そして忘れてはいけないのが"未来のかけら"。

 "未来のかけら"の正体が深層心理の具現化だというのは、7話の「お似合いのカップルね」や12話の雪世界から察することができるだろう。人の心は絶対的に不可視だとはいえない。やなぎが雪哉の表情から彼の気持ちを読み取っていたように、ある程度は表に出るものだ。だが誰もがやなぎのように察しがいいわけでもないし、雪哉のように気持ちを表情に出してくれるわけでもない。

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 やなぎは透子に嫉妬していたが、透子の前ではそれを隠し通していた。だが「お似合いのカップルね」という"声"が彼女の嫉妬を露呈させてしまう。次の回でお風呂に入りながら「言いたくても言えないことってたくさんあるよねえ」と呟く透子。やなぎの「言いたくても言えないこと」――本来なら感づかれるはずがなかった彼女の気持ちが透子に伝わってしまったのだ。それを可能にしてしまう能力が"未来のかけら"だといえる。

 つまりは「海より深いもの」というのは本来見ることができないものであり、深層心理のメタファーだといえる。それを表面化させるシステムとして"未来のかけら"が存在し、地球照、流星群は見えないものを見せる"未来のかけら"のメタファーだった。

 

 「海よりも深く」深層心理があると考えると、「海(透子)から離れる」という展開にも別の意味が生じる。

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 透子は「いい感じに無神経」で、無神経であるが故に雪哉に気を遣わない。自分に気を遣わない透子と接することで、雪哉は自分の惨めな現状を忘れることができる。しかしそれは逃避以外の何物でもない。

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 幸は透子に強く依存していて、依存しすぎるあまり同性愛のような感情を透子に抱いてしまっている。透子は友人関係はこれまで通りに受け入れてくれるだろう。しかし同性愛じみた依存心まではきっと受け入れてくれない。

 雪哉にしても幸にしても、自分が向き合うべき内面の問題には透子ががっつり絡んでいた。雪哉は自分の現状と向き合うためには透子に対して"逃避"するのをやめる必要があったし、幸も透子への依存を断ち切る必要があった。そして自分の内面と向き合った結果透子と彼らには距離が生まれる。こうした「海離れ」の文脈から逆説的に、心の底にあった感情を水面へと引っ張り出すという作用を我々は見出すことができる。