ジョイナス最後の戦い

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2023年5月2週 —小倉智昭が頭を下げるイメージ—

今週もうさ太郎先生リスペクト*1でブログを書く。

 

スターズオンアースは決め手はあるけど競馬が上手くないから取りこぼす。なんだかブエナビスタみたいになってきたなぁ‥‥と思ってたらヴィクトリアマイルに参戦表明。驚いてしまった。ルメールが「2400の馬」って言ってたばかりじゃないか。

そのブエナビスタVMは2戦1勝。VMは中距離馬がマイルのペースが仇となって負けてしまうレースではあるけど、ブエナぐらいの馬なら格の差で強引に追い込んできてしまう。たださすがのブエナでもアパパネには勝てなかった。今年も中距離の女王と金子真人の勝負服に身を包んだ才媛の対戦という構図。先行馬泣かせのメイケイエールがいなくなったことも含めて追い風はソダシに吹いているように思える。

 

  • 今週聴いた音楽

総総 ー CRCK/LCKS

Portrait in Jazz — Bill Evans Trio

Supertrios — McCoy Tyner

The LEGEND — 佐野元春

Our Favourite Shop — The Style Council

思うことがあり今週は佐野元春スタイル・カウンシルを聴いた。より厳密に言うと佐野元春の「Young Bloods」とスタイル・カウンシルの「Shout To The Top」を聴き比べたくなった。いわゆる邦楽の"パクリ"の代表例として挙げられる曲とその元ネタとされる曲である。

「Young Bloods」を初めて聴いたとき私は失笑してしまった。今でもそうかもしれない。「Shout To The Top」の曲を通して繰り返されるあのフレーズがほとんどそのまま借用されていたからだ。ギリギリ昭和生まれの私からしてみれば「Shout To The Top」は朝の情報番組のテーマとしてお馴染みの曲で、こうした元曲との距離の近さも笑ってしまう要因かもしれない。無論、小倉智昭頭を下げるのイメージも笑いを助長しているだろう。

ただ「Young Bloods」と「Shout To The Top」を聴き比べてみると、前者が後者の"パクリ"であることは否定できないにしろ、両者にははっきりとした差異があることがはっきりしてくる。

そもそも曲の形式が違う。まず元の「Shout To The Top」はシンプルAABA形式。イントロであの印象的なフレーズをストリングスとピアノで刻み、そのグルーヴに乗るようにポール・ウェラーのボーカルが入る。「タッタッタララ~」というフレーズを三者が出入りしながらAパート中ひっきりなしに続けていく。フレーズそのものではなく、フレーズの反復がこの曲のキモなのだろう。

一方「Young Bloods」はイントロ-Aメロ-Bメロ-サビ-Cメロ-間奏(イントロの再現)-Bメロ-サビという日本のポップス特有の構成。例の「Shout To The Top」っぽいフレーズを主に担うのはブラスで、佐野はポール・ウェラーのように歌声をそのリズムに被せようとはしない。しかも元ネタほどひっきりなしに繰り返すわけでなく、Aメロではお休みでBメロの終盤になってようやく再登場する。そのAメロの印象はニューミュージックというよりは歌謡曲じみていて、ソウルを志向していたスタイル・カウンシルとは距離があると感じる。

聴き比べてみると「Shout To The Top」の方が断然いい曲だ。「Young Bloods」はフレーズとコードは真似たけれど、肝心なところは模倣しなかった。そのうえで日本式の曲構成に合わせてしまったから中途半端な印象を覚える。

佐野元春のパクリというと代表曲の「SOMEDAY」もブルース・スプリングティーンの「Hungry Heart」のパクリと言われている‥‥というとか聴いてみれば笑っちゃうほど露骨に進行にコードとピアノのバッキングのフレーズが似せている。ドラムはそのまんま。しかしながら同じパクリだとしても「SOMEDAY」と「Young Bloods」には雲泥の差がある。「Young Bloods」は元曲の日本式ポップスへの落とし込み具合が中途半端だったが、「SOMEDAY」は「Hungry Hearts」を想起させるような要素を伺わせながら、ジャパニーズポップスの構成の中でそれを崩していく様子が素晴らしい。

具体的にいうとイントロ~Aメロ~Bメロの展開がいい。「Hungry Hearts」を露骨に連想させるイントロから、Aメロで「Hungry Hearts」のドラムだけを引き継ぐ。そしてAメロの終わりで、元ネタっぽいピアノのバッキングをチラつかせつつも、Bメロでリズムを一気に崩していく。この捻りが「SOMEDAY」に「Hungry Hearts」にない魅力を与えている。仮に「Hungry Hearts」が「Shout To The Top」のようにリズムの執拗な反復を特色とする曲だったらこういった崩しに「あれ?」と思ってしまうのかもしれない。でもそうじゃないから佐野のやってることを好意的に受け止められる。

パクリといっても決して元ネタの完全再現ではないから何かしら差異は生まれてくる。そこに価値を産み出せるかどうか、ということが重要だろう(私たちがそれを見出せるかどうかという問題もある)。パクったからオリジナリティがないとか言っちゃう人がよくいるけど、それは「木を見て森を見ず」の典型だろう(人のことは言えないけど)。

とはいえあまりにも佐野元春のように露骨に元ネタを提示されると笑ってしまう。「もっと加工しろよ(笑)」という呆れだ。ただ「SOMEDAY」は聴いていて恥ずかしくなるぐらいへの元ネタへの寄せっぷりが、元ネタを見事に崩していく構成に上手くマッチしてた。

パクった結果カッコいい作品が生まれることはあっても、パクること自体はカッコいいことではないとは感じる。私はパクリとか引用に気付いたことに嬉しくなるタチだけど、だからといって名曲を引用した事実だけで何か価値があるとは思わない*2

名曲の引用のカッコいい例というとなんだろうなあ‥‥と思って浮かんだのがSOUL'd OUTの「Starlight Destiny」。ここでヒップホップを持ってくるのは卑怯な気もするけど。引用(サンプリング)が華のジャンルだし。

「Starlight Destyny」では3:20秒からのパートでDiggyがグローヴァー・ワシントン・ジュニアの「Just the Two of Us」を引用しつつ、「Just the three of us S. O. 」(俺たちはたった3人のSOUL'd OUT)の名乗りを上げる。ヒップホップの人たちは自分を強く表現したいのか曲中で名乗りがちというイメージが自分の中にある。そこで他人の曲を引用するというのがすごく印象的。心の汚れた人にとってはアイロニカルに映るんだろうけれど、他人からの影響を含めての自分だというアイデンティティの発露が自分にとっては眩しく映る。

*1:いえ 日本には工場を守る翼竜うさ太郎あり・さらにうさ太郎情報室があり他国の侵入を許しません・日本の宝

*2:引用を通して自分の趣味をひけらかしたいというクリエイター心理は理解できる