ジョイナス最後の戦い

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2023年7月3週 —麒麟のよう—

今週もうさ太郎先生リスペクト*1でブログを書く。

 

  • 上半期の競馬雑感
日本ダービー

勝ったタスティエーラは新馬戦を見た時「これが今年1番強いのではないか」と思ったぐらいだけど、まさかダービーを勝つとは思わなかった。しかもスローのダービーを。勝ち時計は2:25.2でレースの上がりは35.3。ペースの割には後続の馬が弾けなかったという印象だ。1000の通過タイムを見た時、瞬発力勝負では分が悪いタスティエーラが勝つとは夢にも思わなかった。

1000m前後で逃げるパクスオトマニカ田辺と番手のホウオウビスケッツ丸田の差が大きく広まった場面があった。レースラップを見る限り田辺がペースアップしたというよりは、丸田が一気にペースダウンといったほうが適切で、これがソールオリエンスには堪えたのではないか。外から末脚を炸裂して勝ってきたソールオリエンスには、馬群で急ブレーキなんて経験は今まで一度もなかったわけだから。ソールオリエンスが負けるパターンは考えたけれど、スローゆえにソールオリエンスが脚を溜めきれなかったというのは想像がつかなかった。

個人的にとても残念だったのがドゥラエレーデの落馬。この馬がレースに参加していたら違うレース展開になっていたのではないだろうか。きっと田辺や丸田の描いた絵を許さなかっただろう。宝塚記念でのレースぶりを見るとその想いがより一層強まってしまった。

昔は競馬はスローのG1を嫌う人の気持ちがあまり分からなかったが、今ではよく分かる。競馬を続けていると"緩急"の"緩"をどうも蔑ろにしがちになる。ゆっくり折り合いを欠かずに走るのも立派な能力だとは思うけれど、末脚の鋭さとか、ハイペースの追走する地力とかに比べたら些細なものだという感覚があり、それが行き過ぎてくると自在性や騎手の腕や判断の差で決まってしまうようなレースがつまらなく感じるようになる。要は"強い馬"に勝ってもらいたいのだろう。

もうひとつレースに陰を落としたのがスキルヴィングの死。矛盾したようなことを書くけれど、自分は競走馬の死にはできるだけ触れないようにしてきている。自分が競馬を見ていて本当に堪えたのは後藤浩輝騎手と岡田繫幸総帥が死んだときで、どんな競走馬が死んでもこの2人が死んだときほどつらい気持ちにはなれない。もちろん自分にも贔屓にしている競走馬もいたりするわけだけど、率直にいって彼らに人と同じぐらい強い感情を向けているわけではない。だからこそ競馬を楽しんでいられるという節がある。野球やサッカーだとこういう気楽さはない。

話が少し脱線してしまったけど、結局のところ私は競走馬が死んでも"そこまで哀しくない"。その程度の感情をわざわざ言葉にしたいとは思わない。真顔で「草」と書き込むようなものだ。だからレース後にスキルヴィングを追悼する声が溢れたことに戸惑いがあった。倫理的には間違っていることではない。ただスキルヴィングはそこまで一般のファンに想われているような馬だったのか。言葉にしなくてはならないほど切実なものがそこにはあったのだろうか、と考えてしまうのだ。

 

  • 今週聴いた音楽

Blackstar — David Bowie

夢見る惑星 — さよならポニーテール

Today and Tomorrow — McCoy Tyner

Ahmad's Blues — Ahmad Jamal

ボウイが死んでもう7年ぐらいだから今さらだけど、「Blackstar」ってすごいアルバムだなあと思う。ようやくボウイの遺作だということを頭の片隅に追いやって聴けた気がする。

本作に参加したダニー・マッキャリンやマーク・ジュリアナの作品の良さは未だに消化しきれないとこはあるんだけど。ボウイの音楽の一部としてならすっと受け入れられるんだけど。あといろいろ読んだジャズ入門書とかに影響されすぎているのか、どうも現代のものよりも50年代60年代のジャズを良いと思ってしまう。

*1:そなたのブログは麒麟のようじゃな・なんと!・日本の宝