ジョイナス最後の戦い

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ホソジュンコラムを評価してみよう/はま寿司/他

ホソジュンコラムを評価してみよう

ドスケベ度:☆☆☆☆☆
ダジャレ度:☆☆☆☆☆
自虐度  :☆☆☆☆☆
欲求不満度:☆☆☆☆☆
グロ度  :☆☆☆☆☆
競馬要素 :☆☆☆☆☆
注目馬  :

ホソジュンコラムの評価指標を考えた。ひょっとしたら既視感を覚えた読者の方もいるかもしれないだろうが、ジョイナスレ改変みたいなものだと思ってほしい。

各項目を見ていこう。

まずドスケベ度。ホソジュンコラムの内容がいかに猥褻で下品かを示す項目だ。ホソジュンコラム評価における基本的項目といえる。

次にダジャレ度。ホソジュンコラムのシモネタの大半はダジャレだ。ダジャレの多さ、クオリティーの高さに準じて星の数も増える。井崎脩五郎先生が作中に登場するとこの項目が高評価になりやすい傾向にある。

自虐度は読んで字のごとく、どれほど内容が自虐的かを示す項目だ。細江純子が自らを蔑めば蔑むほど、この下品なコラムの業の深さも増してくる。

欲求不満度はとてもつらい項目だ。文面から立ち込める細江純子の欲求不満をストレートに受け止める度量が評価人には求められる。逃げることは許されない。

評価人に強い精神(こころ)が求められるという意味ではグロ度も欲求不満度に近いかもしれない。ここでは内容に覚えた生理的嫌悪感の度合いを評価する。ただ不快であればいいというわけではなく、不快さを覚えつつも読み込んでしまうような「深み」も求められるだろう。

そして一番肝心なのは競馬要素。「ホソジュンのアソコだけの話」は週刊アサヒ芸能の競馬コーナーに連載されている競馬予想コラムである。にもかかわらず近年はシモネタに押されて競馬要素がなおざりになっている。こうした本末転倒さがホソジュンコラムの醍醐味だと私は思っている。 

というわけで、上記の指標を駆使してホソジュンコラム史上屈指の神回として名高い「内枠以外であればレッドアリオン軸」(2015/09/11)を実際に評価してみよう。

暑い時期の格言として「夏は牝馬」と言われますが、確かに今年の夏競馬を振り返っても当てはまる結果が多かったように思えます。

しかしその一方で、これといった科学的な根拠はなく、ましてや人間の手が加えられているサラブレッドの世界において、その理由を探すのは謎。それゆえ、「タマタマだよ」という見解があるのも事実(乙女にタマはないのですが‥‥ナンチッテ)。

冗談はさておき、今、スポーツの世界で脚光を集めているのがハーフの選手。中でもアフリカ系の血。世界陸上を見ていても、ジャマイカの選手の方々は、体の作り以外にも、酸素を一度にたくさん吸い込めそうな鼻や整ったキレイな歯、しっかりと頭を支えられる太めの首など、もともとの作りが日本人と違いすぎて、瞬発力が求められるフィールドで戦うのは酷な話に思えてくるほど。

馬もそうですが、トレーニングでは持って生まれた資質を越えることは不可能。となると、血の配合ということになりますし、また似た遺伝子同士よりも異なる遺伝子が混ざり合うことで、予想を超える能力が生み出される結果が多いのだそう。

あ~、私も若かったらボルトとチョ○チョ○‥‥そう想像してみるも、行為中も出産時も痛みに耐えられなさそうなので、ここはハンサムなアメリカのガトリンで‥‥ナンチッテ。

オバカな話はここまでとして、週末行われる京成杯AHは、内枠にならないかぎりレッドアリオンを軸で。

それでは、週末は競馬場、もしくは「みんなのKEIBA」(フジ系)でお会いしましょう。ホソジュンでしたぁ。

asageifuzoku.com

ドスケベ度:★★★★★
ダジャレ度:★★★☆☆
自虐度  :★★☆☆☆
欲求不満度:★★★★★
グロ度  :★★★★☆
競馬要素 :★★★☆☆
注目馬  :レッドアリオン

「ボルトとガトリンとチョ〇チョ〇したい」という煩悩まみれの内容で、ドスケベ度と欲求不満度は限界点まで達している。妄想の内容がより具体的に書かれていれば、グロ度もおそらく最高評価を受けただろう。

びっくりしたのが競馬要素の高さ。「夏は牝馬」という格言からはじまり、配合の話にも触れ、最後は申し訳程度に予想を披露している。ここ数年では考えられない。この回が書かれたのは4年前。当時の細江純子は下品さと競馬要素の両立を試みようという意志があったようだ。個人的には競馬要素はなおざりであればあるほど面白いと思っていたので、今回の再読はその認識に一石を投じるような形となった。ホソジュンコラムの旧作をもっと読みたい。書籍化をボッキ‥‥いやキボウします。ナンチッテ。

はま寿司


お笑い芸人・キャプテン渡辺

「クズ漫談」でおなじみのピン芸人・キャプテン渡辺のネタ「パチンコあるある」に、とても心に突き刺さるフレーズがある。

勝ったら風俗に行こうと思うと負ける

実に共感できる。今風にいえば「分かりみが深い」というやつだ。

勝った結果風俗に行くのであって、風俗に行くために勝とうとしてはいけない。これは私が風俗に行きたいあまりに一号艇の瓜生正義*1に突っ込んで、地獄を見たトラウマから得た教訓である。

大きく勝とうとすれば無理をする。結果負けも増える。馬券購入者は年間回収率が80%あれば標準的だという。もし1日予算5万円で競馬を楽しむなら、5万円を10万円に増やす努力でなく、5万円をできるだけ減らさない努力をするのが標準的な馬券購入者がするべき心がけだろう。というか風俗行きたきゃ馬券買うお金で行けよ。

そんなことを考えながらここ数年馬券を買っていたが、中日ドラゴンズの様に浮沈する馬券購入用の口座の残高を見て虚しさが募るばかり。そこで最近の私は「勝ったらはま寿司」という心がけで馬券を買うようになった。これが功を奏している。

私がはま寿司で好きなメニューは海老天にぎりである。揚げたての海老天が100円+税で食べられる。バイトがマニュアル通りに揚げた海老天にはまずハズレがない。海老天を食べたらあとはイカでも頼めばいい。よほどの食いしん坊でなければ1000円前後で満足できる。

「1000円前後のプラス」を目指すくらいが丁度いいのだろう。勝ったか負けたかも分からないような額ではあるが、勝ちは勝ちである。これが「勝ったらはま寿司」でなく「勝ったら久兵衛」だったらたちまち邪念に取り憑かれてしまうだろう。「勝ったら根室花まる」でもたぶん負けてしまう。余談だが、一度根室はな丸に行ってしまうとトリトンでは満足できなくなる。北海道に行って根室花まるに行きたい。

シャニマスの話2

アイドルマスター・シャイニーカラーズはアイドルをプロデュースするゲームである。プレイヤーはプロデューサーに感情移入し、アイドルをW.I.N.G.に優勝させて「プロデューサーさんのおかげです」「プロデューサーのおかげでここまで来れたのよ」などとアイドルに言わせることで、労働ですり減らした自尊心を回復することができる。

しかしながら、私にはプロデュースをしていてどうしてもプロデューサーに感情移入ができないアイドルが2名存在する。1人は激重負けヒロインムーブでプレイヤーをプロデューサーと強制分離させただの傍観者にしてしまう三峰結華で、もう1人はプロデューサーにコミュのたびに猛烈アプローチをしかけて私たちを唖然とさせる杜野凛世である。

シャニマスのプロデューサーは基本的にはアイドル想いのナイスガイなのだが、凛世を相手にしている時の彼は何かが欠落しているとしか思えない。

凛「『夢と知りぜば……覚めざらましを……』」

P「ん?和歌か何かか?」

凛「はい……今朝同じようなことがありました……」

P「(夢のことを詠んだ歌、なのかな?)」

P「いい夢を見たのか?」

凛「はい……夢の中でも……夢から覚めても……」

凛「プロデューサーにお会いできて凛世は幸せです…」

この朝コミュを見るたびに私は白目をむいてしまう。たとえPが古今和歌集を知らなかったとしても、これは告白ととらえる他にない。良い大人ならばここはきちんと断り、担当アイドルを色ボケから目を覚まさせるべきだろう。悪い大人なら下半身の疼きに身を委ねよう。しかしながらこのプロデューサーは「よし楽しく話せたな」で済ませてしまう。こいつ、大丈夫なのか?

はやい話、ラブコメの主人公の鈍感さが度を越しすぎて読者が没入できなくなる現象と全く同じことが起きているのだが、傍観者目線で凛世のギリギリを越えた攻めを楽しむのもまた一興というものである。ある種のコントとして捉えるべきなのか、凛世のいじらしさに萌えるべきなのかよく分からなくなるが、こうした困惑を含めて楽しむのが杜野凛世というキャラなのだろう。

*1:俗にいう「白瓜」だ